なぜ日本人は兵法的思考ができないのか
かつて日本には、リーダーの育成システムとして世界に冠たる武士道教育がありました。然しながら明治維新における身分制度の廃止により、武士階級のバックボーンたる武士道教育もまた廃れました。とは言え、その明治の時代は、武士道教育の余光によって領導され、とりわけ日清・日露の両役はその恩恵に預かるところ大であったと謂われております。
その後、世代の交代とともに新たな指導者層として台頭してきたのが、ペーパーテストの優秀者たる学校秀才組です。この指導者選抜の方式は、何よりも機会均等にして公平であり、かつ効率的な側面が大であるため、まさに四民平等社会のシンボリックな存在として歓迎されたのです。
とは言え、武士道教育で鍛えられたかつての武士階級の指導者と、単にペーパーテストにより選抜された新たな指導者層たる学校秀才組とを比べた場合、その資質や能力において歴然たる差があることは否めません。
そのゆえにこそ、本来は、選抜された学校秀才組に対する(リーダーとしての威儀や責務、躾や嗜みなどを含む)武士道教育的な本物の指導者教育が行われるべきであったのですが、なぜかそのことは不問に付され、むしろ学校秀才、即ち頭の良い人間、真の指導者なりとの誤った常識が広まったのが実情です。
この拭いがたい学歴信仰社会の悪弊により、日本の学校教育は、究極の人間教育たる武士道教育とはおよそ対極にある、いわゆる偏差値優先の薄っぺらな知識教育に偏向せざるを得なかったのです。かつての武士のごとく、いくら人に範たる立派な人間になっても、それではメシを喰っていけないというのがその情理です。
つまりは『人に範たる立派な人間づくりはもとより必要であり重要である。が、それは、個々人が学校を卒業してからでも遅くは無い。それよりも当面はまず良い学校に入ること、そして安定した良い職場に就職することが先決である』との考え方が暗黙の了解であったのです。
問題は、それがその通りにキチンと履行されているか否かということですが、とかく「熱し易く冷め易く」「喉元過ぎれば熱さを忘れる」性癖の日本人には極めて怪しいものがあると言わざるを得ません。
いわゆる一流大学などを卒業すれば、自他ともにそれで人間そのものまでを一人前と評価する傾向が強く、そのゆえに仕事に忙殺されるがままに人間形成とは無縁の生活を送るパターンが多いようです。
つまり、今日の日本人は、問題を解決する上で最も重要な役割を果たすべき総合的人間力は「既に完成されたものとして自己の内にある」と思い込んでいる節が濃厚なのであります。
そもそも、人間形成・人間づくりにおいては、精神教育・思考教育・知識教育の三面を同時に全体的に進めることが要訣とされております。而るを況んや、今日のごとき知識面偏重の教育方法においてをや、であります。にも拘らず、上記のごとき妄想が横行していると言うことは、まさに孫子の曰う『彼を知り己を知れば』<第三篇 謀攻>の「己を知る」について全く無知な傾向が強いということです。
孫子十三篇の根底を貫く思想は『事の成否の分かれ目、勝敗の分かれ目は人間という要素にかかっている』ということであります。脳科学的に言えば、人間の脳に完成はありません。そのゆえに、人間形成・人間づくりにも完成は無いと言うことです。逆に言えば「人格は既に完成している」のごとき妄想を抱いた時には人としての没落が始まる、と言えるのです。孫子兵法・脳力開発を学ぶ所以(ゆえん)であります。
人生を強く生き抜くための真の知恵とは何か
人生は、好むと好まざるとに関わらず様々な問題解決の連続と言わざるを得ません。しかも、その問題たるや、学校教育におけるがごとく「答え」の用意されているものは殆どありません。そこで物を言うのは、いわゆる偏差値の高さではなく、玉石混交の事物の中から本質を見分け「だからどうするのか」という「答えを出す知恵」、言い換えれば、困難な状況に直面し、いかに適切な判断が下せるかという脳力であります。
孫子に代表される兵法的思考とはまさにそのことテーマにするものであり、自ずからそれは、人間的総合力の根幹たる意欲・情熱・勇気・胆力・決断力・統率力・創造力・革新力などの諸要素と密接不可分の関係にあります。この脳力をいかに磨くかが、人間らしくこの人世を生きるための本質であり中心点であります。
孫子に代表される兵法的思考、およびその実践論的体系たる脳力開発は、まさに科学の領域外たる「人間いかに生きるべきか」とその側面たる「人生いかに戦うべきか」をテーマとし、哲学と異なり、具体的にどうすべきかの具体的方法を提示するものであります。
また、宗教のごとく非論理的にただ教義を信ぜよと迫るものではなく、この方法を(通常の意識のもとで)具体的に実践すれば、なるほど確かに「よりよく生きることができる」「状況に向き合い適切な判断が下せる」と具体的かつ論理的にその理性に訴えるものであります。
つまり、この方法は、行動を大前提とするものゆえに『やったもの勝ちであり、やれば成果は必ず上がる』と言うことです。もとより、やるかやらないかは当人しだいでありますが、本当に成果が上がるものか否かを実証するのもまた当人であります。ゆえにそれはすぐに確認することができるということです。要は、当人に「重い荷物を担ぐ勇気があるか無いか」ということだけであります。
通学講座の基本方針と学習目的
戦いの普遍的な原理を論ずる孫子兵法と、その実践論的体系たる脳力開発は、言わば基本ソフト的性格のものです。ゆえに、個別特殊的な個々人の環境条件でこれを具体的に活用して成果を上げるためには、当然のことながら、各種の言わば個別特殊的な応用ソフトを付け足して使うという考え方が必要です。
逆に言えば、適切な応用ソフトの作成やさらなる展開は、基礎的な基本ソフトをきちんと学ぶことにより初めて可能になるという相互関係にあります。
残念ながら、こと孫子兵法や脳力開発の活用に関してはどうもこのあたりの基本的認識が曖昧であり、混同されている向きが多いようです。目的と手段、もしくは戦略と戦術を区別し、混同しないことが肝要であります。
ことの順序から言えば、何事もまず土台部分の整備(基本の充実)が先であり重要であります。よって、当講座では、まず土台部分としての孫子兵法、その実践論的体系たる脳力開発をキチンと学ぶことを中心に据えております。つまり、あくまでも「基本ソフトは基本ソフトとして学ぶ」ということを趣旨とするものであり、個別特殊的な個々人の応用ソフトの作成を論ずるものではないということであります。
具体的活用のための応用ソフトは、あくまでも個々人の属する特殊的環境条件に即して当事者たる当人が個別具体的に創意工夫するのがセオリーであります。而して、適切な応用ソフトの作成やそのさらなる展開は、基礎的な基本ソフトをキチンと学ぶことにより初めて可能になるということであります。言い換えれば、個々人が個別特殊的な兵法的思考力を発揮するためには、そのバックボーンたる普遍的な兵法的思考の何たるかを真摯に正確に学ぶ必要があるということです。
通学講座の申し込み要領について
一、通学講座の主宰者・講師
孫子塾塾長 佐野寿龍
二、使用するテキスト
(1) サブテキスト
Ⅰ、孫子兵法(佐野寿龍校註・武岡淳彦監修)
Ⅱ、脳力開発入門((脳力開発センター)
Ⅲ、脳力開発指針集(脳力開発センター)
(2)メインテキスト
Ⅰ、初級クラスの場合は、オンライン通信講座〔基礎篇〕
第一回から第十二回までのテキストを使用します。
Ⅱ、中級クラスの場合は、オンライン通信講座〔応用篇〕
第一回から第十二回までのテキストを使用します。
Ⅲ、上級クラスの場合は、オンライン通信講座〔総括篇〕
第一回から第十二回までのテキストを使用します。
三、通学講座の開催の日時・時間・会場など
(1)少人数・双方向的教育のいわゆるゼミ形式で行います。
(2)各クラスとも期間六ヶ月、月二回の開講、隔週の土曜日(09:00~12:00)
(3)会場:日本空手武道会 拓心観道場
埼玉県川口市東川口 2-15-5 TEL:048-294-3489
(4)募集人数
Ⅰ、基本的には6人前後と致します。内容の詳細はメールにてお問合せ下さい。
Ⅱ、当初は随時に参加する形ですが、状況に応じてクラス分け致します。
(5)受講料
月二回の開催で月額六千円。期間は六ヶ月。合計:¥36,000
(6)受講に関するご質問・お問合せ・お申込み
- 2012年05月05日
- 9、現代日本人はなぜ兵法的思考(戦略思考)が不得手なのか
- 2011年10月20日
- 8、老子と孫子の共通性について
- 2011年05月30日
- 7、孫子兵法と易経・老子・毛沢東・脳力開発との関係について
- 2011年05月24日
- 6、『敵を殺す者は怒りなり』の通説的解釈を斬る
- 2011年04月07日
- 5、孫子の曰う『善後策』と、一般に謂う「善後策」とは似て非なるものである
- 2010年12月01日
- 4、危うきかな日本 ~尖閣ビデオ流出行為は非国民かヒーローか~
- 2010年09月25日
- 3、孫子の曰う『拙速』と、巷間いわれる「拙速」の根本的な違いについて
- 2010年09月25日
- 2、「孫子はなぜ活用できないのか」のご質問に答えて
- 2010年09月25日
- 1、孫子をなぜ学ぶ必要があるのか
- 2008年11月11日
- 『孫子塾総合サイト』オープン
- ☆現代日本人はなぜ兵法的思考(戦略思考)が不得手なのか
- かつて日本には、リーダーの育成システムとしては世界に冠たるいわゆる武士道教育がありました。しかし、明治維新における身分制度の廃止・四民平等社会の実現によりかつての指導者層たる武士階級は消滅し、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式に武士道教育もまた弊履のごとく棄てられました。
とは言え、当時、武士道教育を受けた最後の世代たる指導者層はまだ健在でしたので、明治の時代はこの武士道教育の言わば余光によって領導され、とりわけ日清・日露の戦争はその余慶に預かるところ大であったと謂われております… - >>続きを読む…
