14、孫子の曰う『善後策』と『拙速』の真意について
お陰様をもちまして、【孫子正解】シリーズの版もすでに第四回『孫子の戦争観と用兵思想〈第二篇 作戦〉』を重ねております。この篇では、一般に誤解されております『善後策』『拙速』『敵を殺す者は者は怒りなり』について論じております。そのうちここでは『善後策』と『拙速』について簡単にその内容をご紹介させて頂きます。
一、孫子の曰う『善後策』は、俗に謂う「善後策」とは似て非なるものである。
そもそも勝つか負けるか、生きるか死ぬかを論ずる兵法は「困っても困らない」、「行き詰まらないこと」を以てその一大事とするものであります。『死生の地、存亡の道』〈第一篇 計〉とはまさにそのことを論ずるものです。則ち、「いかに勝つか」を論ずる孫子兵法の立場から言えば、そもそも「事が起きてから、さてどうするか」では余りにお粗末過ぎて話にも絵にもならないということであります。これは普通の頭で普通に考えれば誰でも分かることであり、ことさら言う方が恥ずかしいくらいです。
つまり、『夫れ、兵を鈍らし鋭を挫き、力を尽くし貨をつくせば、則ち諸侯、その弊に乗じて起こり、智者有りと雖も、その後を善くする能わず。』〈第二篇 作戦〉を普通の頭で普通に読めば、孫子の真に言いたいことはこの文意の逆説である「そうなる前に、そうならないように手を打て、それが智者(リーダー)たる者の資質であり、責務である」の意に解されるはずであります。
敢えて言えば、兵法と、まさに「転ばぬ先の杖」であり、「困っても困らない」、「行き詰まらないこと」をもってその一大事とするものゆえに、個人であれ、組織であれ、そのいかんを問わず『そうなる前に、そうならないように手を打つ』ことは理の当然のことであり、言わずもがなのことであります。
然(しか)るに、このたびの福島第一原発事故のごとく、彼の「原子力安全神話」にマインドコントロールされていたがゆえに、(誰が見ても)事が起きてから右往左往するような体たらくでは、そもそもリーダー(もしくはセルフリーダー)たるの資質に欠け、その責務の何たるかが全く分かっていない輩(やから)と断ぜざるを得ません。
にもかからわず、一般に、いわゆる「善後策」は、「事が起きてから、さてどうするか」の意に解されているのです。まさに、孫子の片言隻句を恣意的に引用し正当化していると言わざるを得ません。「孫子読みの孫子知らず」、「生兵法は大怪我の基」の謗(そし)りを免れません。
なぜそのような能天気なことを、しかも大の大人(おとな)が白昼堂々と厚顔無恥に言えるのか、実に理解に苦しむところでありますが、その主たる原因は、孫子の片言隻句が断章取義的に理解されて勝手に一人歩きし、『本当は分かっていないのであるが、分かった積りになっている』ことにあると言わざるを得ません。
世の中には、一般に、良く分っていないのに、分っていると思い込んでいる人が残念ながらかなりの頻度で見受けられます。もとより、「一を聞いて十を知る」のは人間的知性のあるべき姿であります。しかし、「一を聞いて十を知る」のではなく、「一を聞いて十を知った積りになる」のは、まさに「己を知らざる者」の典型であり、孫子の最も嫌うところのものであります。孫子が『彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず。』を論ずる所以であります。
二、孫子の曰う『拙速』は、いわゆる「拙速」とは似て非なるものである。
「拙速」は、一般には手段の「巧拙」及びその「スピード」の意と解されています。則ち「やり方・手段が多少拙劣であっても、速戦速決、速勝に出た方が、手段の万全を期してことを長引かせるよりも有利である」ということであります。
因みに、孫子の最古の註釈者たる魏の曹操は「拙と雖も、速を以てする有らば、勝を未だ睹ざる者は無きを曰うなり」と、また次ぎに古い梁(りょう)の孟氏は曹操の説を敷衍(ふえん)して「拙と雖も、速を以てする有らば勝つ」と註しています。孫子の曰う『拙速』の真意に対する誤解の大本はまさにこの辺りに起因するものと言わざるを得ません。
言い換えれば、孫子の曰う『拙速』とその対概念としての『巧久』は、国家政戦略レベルたる戦争目的、もしくはその達成度合いについて用いられるものであるのに対し、一般に謂われている「拙速」とその文字通りの対概念となる「巧遅」は、(その場その時における)臨機応変のやり方・手段の巧妙・拙劣に対して用いられているのであります。
もとより、状況によっては、手段としての「拙速」が効を奏する場合もあり得るでしょうが、それはあくまでも臨機応変、状況即応を旨とする現場のリーダー(もしくはセルフリーダー)の状況判断の問題であり、言わずもがなのことであります。とりわけ紙幅に制限のある竹簡孫子にわざわざ書き残すような性質のものではありません。
ここでは、「戦略の確立・確定」以前のステップ、つまり国家政戦略レベルたる「正鵠を射た理念」とは何かを論ずるものですから『拙速』を臨機応変・状況即応する意の手段と解するのは不適当と言わざるを得ません。
そもそも『拙速』の言が、孫子十三篇の首(かしら)にしてその戦争観・用兵思想を論ずる〈第二篇 作戦〉にあることが何よりの証左であります。
思うに、一般に謂う意の「拙速」は、俗に謂う「早速」、則ち何か事が有ってから時を置かずに対応策を講じるの意であり、その臨機応変・状況即応する処置がたとえ『拙(つたな)く』ても「速」であれば可とするか、はたまた、いわゆる『拙速(つたなく、はや)すぎる』として不可とするかの意と解せられます。
因みに、手段の巧拙云々は別として、「速(スピード)を以てする有らば勝つ」の意に相当する孫子の言は、『兵の情は速やかなるを主とし』〈第十一篇 九地〉ということになります。「兵の情」とは、兵を用うるの理・本質の意、「速」は、迅速の意です。
が、しかし、ここで重要なことは、この言句に『拙』の文言は無いということです。あくまでも『兵の情は速やかなるを主とし、人の及ばざるに乗じ、虞(はか)らざるの道に由り、其の戒めざる所を攻むるなり。』であります。
もし、この言を、であるがゆえに「やり方・手段が多少拙劣であっても、速戦速決、速勝に出た方が、手段の万全を期してことを長引かせるよりも有利である」と読む人がいたとしたら(おそらくそんな人は幼稚園児を除いて皆無でありましょうが)、よほどの能天気か、思考力の欠けらも無い人と断ぜざるを得ません。
実は、これらについて詳細かつ明快に論じているものが孫子塾発行の下記の電子書籍(アマゾン書店)であります。ご一読賜れば幸甚です。
【孫子正解】第四回 孫子の戦争観と用兵思想篇〈第二篇 作戦〉
※ご案内
孫子塾では、孫子に興味と関心があり、孫子を体系的・本格的に、かつ気軽に学べる場を求めておられる方々のために、以下の講座を用意しております。
※併設 拓心観道場「古伝空手・琉球古武術」のご案内
孫子を学ぶのになぜ古伝空手・琉球古武術なのか、と不思議に思われるかも知れません。だが、実は、極めて密接な関係にあります。例えば、彼のクラウゼヴィッツは、「マクロの現象たる戦争を、言わば個人の決闘的なミクロの戦いへ置き換えることのできる大局的観察能力・簡潔な思考方法こそが、用兵の核心をなすものである」と論じています。則ち、いわゆる剣術の大なるものが戦争であり、勝つための言わば道具たる剣術・戦争を用いる方法が兵法であるということです。
とりわけ、スポーツの場合は、まずルールがあり、それをジャッジする審判がいます。つまり、スポーツの本質は、娯楽・見世物(ショー)ですから、おのずから力比べのための条件を同じくし、その上で勝負を争うという形になります。つまりは力比べが主であり、詭道はあくまでも従となります。そうしなければ娯楽・見世物にならず興行が成り立たないからです。
これに対して、武術の場合は、ルールもなければ審判もいない、しかも二つとない自己の命を懸けての真剣勝負であり、ルールなき騙し合いというのがその本質であります。つまるところ、手段は選ばない、どんな手を使ってでも「勝つ」ことが第一義となります。おのずから相手と正面切っての力比べは禁じ手となり、必ず、まず詭道、則ち武略・計略・調略をもってすることが常道となります(まさにそのゆえに孫子が強調するがごとく情報収集が必須の課題となるのです)。
つまり孫子を学ぶには武術を学ぶに如(し)くはなしであり、かつ古伝空手・琉球古武術は、そもそも孫子兵法に由来する中国武術を源流とするものゆえに、孫子や脳力開発をリアルかつコンパクトに学ぶには最適の方法なのです。
古伝空手・琉球古武術は、日本で一般的な、いわゆる力比べ的なスポーツ空手とは似て非なる琉球古伝の真正の「武術」ゆえに誰でも年齢の如何(いかん)を問わず始めることができ、しかも生涯追及できる真なる優れものであります。興味のある方は下記の弊サイトをご覧ください。
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