18、根本的におかしいNHK・百分de名著「孫子」
2014年1月5日よりNHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」が放送されております。そのドラマの中で時折、孫子の言葉が引用されるので話題を呼んでいるようです。それと軌を一にするがごとく、三月にはNHKEテレ(教育)で百分de名著「孫子」が四回シリーズで放送されました。
筆者は「軍師官兵衛」のドラマはともかく、百分de名著「孫子」の番組については寡聞にして知らなかったのですが、ある地方在住の弊塾・卒業生の方が、「孫子が今、注目されている」というような趣旨でその情報をわざわざ教えて下さいました。そのため筆者も一応、第一回を録画して拝見しましたが、期待外れと言うべきか、予想通りと言うべきか、そのレベルの余りのお粗末さに辟易(へきえき)して見るのを止めました。そのゆえに、次のごとくメールいたしました。
『正直なところ感想はNHKの彼の籾井会長と同じく、「全く酷いものである」というところであります。つまりは、孫子の概略を紹介する番組の、そのまた入門編のようなものでしたので三分の一程度を見て止めました。大河ドラマ「軍師官兵衛」との関連番組という意味においては、それはそれなりに価値があるのでしょうが、孫子そのものの姿を伝えるという意味においては、お粗末の極みであり、残念ながら二回目以降は見る気力も湧きませんでした』と。
ただ楽しく面白ければそれで良しとする(そもそも孫子兵法はそのような娯楽・レジャー・スポーツ感覚的なものではなく、戦争という意味でまさにその対極にあるはずのものなのですが、ともあれそのような)番組進行の趣旨に迎合して、しかも断章取義的に孫子を論じているに過ぎないものであることが明白だからでした。まさに孫子が益々、世に誤解される原因と感じた次第でありました。
とりわけ、「孫子の特徴は何ですか」との司会者の問いに対して解説者の某大学教授が恰(あたか)も薬の効能書きのごとく「即効性のあることです」と得意気に言い放ったのには流石に呆れ、二の句が継げませんでした。
普通のアタマで普通に読めば孫子十三篇のどこを読んでも「即効性」などという言葉はもとよりのこと、そのような趣旨もありません。少なくともこのことに関しては論外としか言いようがありません。あれでは岩波文庫・金谷治の「孫子」の方がまだまし、というものです。
恐らくこのご認識は、『故に、兵は拙速を聞くも、未だ巧(たくみ)の久しきを睹(み)ざるなり。』〈第二篇 作戦〉の、いわゆる『拙速』の言から連想されてのことと思われます。
ところで、いわゆる故事成語には、現在では意味を取り違えて用いられている例が得てして多いようであります。たとえば、老子・四十一章の「大器は晩成す」などはその典型例です。
この言は一般的には、「真に偉大な人物は大成するのが晩(おそ)い」の意に解されております。が、しかし、老子の曰わんとするところは、「真に偉大な器量を持つ人物は、いつまでも完成した形には見えない」、なぜならば、完成すると形が定まり、形が定まれば用途も限られる。それでは偉大な器量を持つ人物とは言えない、の意と解されます。
それと同じように、まさに前記の『拙速』〈第二篇 作戦〉もまた意味を取り違えて用いられている典型例であります。その具体的内容につきましては、これまで弊サイトでは様々に論じておりますので、ここではその要旨を簡略に述べます。
則ち、一般的に言われている「拙速」は、言わば現場における臨機応変の処置たる戦術レベルの意であり、つまるところは、日常会話の中で頻繁に用いられるいわゆる『早速(何か事が有ってから時を置かずに、あるいは機転を利かして対応策を講じることを表わす意)』と同意と解されます。つまりは、その対応策が適切であれば可(早速=拙速ゆえに良い)とし、不適切であれば不可(早速=拙速に過ぎるからダメ)とするのであります。
それに対して孫子が曰わんとするところの『拙速』は、老子の曰う「止まるを知れば殆からず、もって長久なるべし」と同意と解され、現場の問題ではなく組織全体の方向性として「止まるべきか、止まらざるべきか」「右に行くべきか、左に行くべきか」の絶対的二者択一たる戦略レベルを論ずるものです。
応用的側面から広義に解すれば、孫子の曰う「拙速」はあくまでも一つの例示であって、その本質は、つまるところ「右か左か」「行くか行かないか」「やるかやらないか」の絶対的二者択一の決断を迫るものなのです。普通のアタマで普通に考えれば、この決断がいかに容易ならざるものであるかは論を俟(ま)ちません。
たとえば、いわゆる富も地位も名声も我が身大事のために求めるものであることは論を俟ちません。が、そのゆえに、ともすれば我を忘れてその利欲・色欲の追求に夢中になり勝ちなのが「欲望の塊」たる人間の悲しい性であります。その意味で言えば、これが戦術レベル、即ち早速の意となります。
とは言え、それに囚(とら)われ過ぎるとおのずから『鹿を遂(お)う者は山を見ず』の状況に陥ることは蓋(けだ)し当然のことであり、やがては富・地位・名声を獲得しようするその土台たる最重要の生命の毀損(きそん)にまで至る、というまさに本末転倒の事態、即ち我が身の破滅を招来するのであります。そのゆえに戦略レベルたる組織全体の方向性、即ち「止まるべきか、止まらざるべきか」「右に行くべきか、左に行くべきか」の絶対的二者択一の決断にはその存亡が懸かっているのであります。まさにこれが孫子の曰う『拙速』〈第二篇 作戦〉の真意であります。
要するに、上記のごとき解釈の違いはまさに『月とスッポン(ともに丸い形をしているという点では似ているが、実は非常な違いがある意)』であり、似て非なるものであり、かつ孫子十三篇を首尾一貫する兵法的思想の根本に関わる極めて重要な問題なのであります。
そして真の問題は、ことが「大器晩成」のごとく言わば「死生存亡」を論ずるものとは凡そ無縁の存在であればともかく、孫子はまさに兵書であり、とりわけ『兵は国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり。』〈第一篇 計〉を論ずるものゆえに、「意味を取り違えて用いられている」ことがそのまま能天気に通用するにはあまりにも深刻な問題であり、かつ悲劇的過ぎるし、見方を変えれば喜劇的ですらあります。
かつて太平洋戦争において圧倒的な物量をもって鉄壁の守りを誇るアメリカ軍と対峙した旧日本軍の戦争指導者は(彼らはペーパーテスト優等生のゆえをもってみずからを秀才・頭脳明晰と称していたが、その本質は記憶的能力はともあれ、人間としてはバカでおっちょこちょいと断ぜざるを得ない。その意味では彼の橋本市長や阿部首相も同類である)、現行孫子に作る「守れば則ち足らず、攻むれば則ち余りあり」の真意を完全に取り違えて、「日本軍に防御なし」などといかにもオタク的発想で豪語し、こともあろうに(取り違えている意味をそのまま)攻撃万能論の拠り所として全軍の金科玉条と為し、幾十幾百万の尊い兵士の命をまさに鴻毛の軽きのごとくに扱い、無駄に無慈悲に山野に散らすという愚行を演じたのであります。
彼の司馬遼太郎氏ならずとも、太平洋戦争における戦争指導者の余りに酷いその愚者・愚行振りを見るにつけ、怒りに体が震えるのを禁じ得ません。戦後、その彼らは軍服を背広に着替え、まさに何食わぬ顔でそのまま国家の中枢たる官僚組織に収まったのです。つまるところ、日本を未曾有の敗戦に追い込んだ戦争指導者たる言わば軍服を着た官僚の思考態度と、今日の何かと悪評高い官僚組織のそれとは本質的には同じものと言わざるを得ません。
まさに、ただ己一個の富・名誉・地位保全、あるいは国益ならぬ省益のためにひたすら既得権益を死守しているその官僚組織の存在こそ、日本がその本来の底力を発揮して進歩発展できない元凶と言わざるを得ません。
余談ながら言えば、NHK・百分de名著「孫子」の解説者たる件(くだん)の某大学教授は別の御著書の「あとがき」で、ご丁寧にも『「生兵法は大怪我のもと」である。……生半可な知識は役に立たない。分かったような気になって、それを他人に吹聴するのは、さらによくない。孔子はそれを道聴塗説(どうちょうとせつ・道ばたで小耳にはさんだ話を受け売りですぐに他人に聞かせる意)と言っている。……死生を分かち存亡を決する戦いの場では、こうした受け売りはまったく通用しない』と述べておられます。
格言にある『雉(きじ)も鳴かずば撃たれまい』、あるいは『天に唾(つば)して己が面(つら)にかかる』とはまさにこのようなことを言うのでありましょう。
一つ言えることは、この学者先生の論は、第三人称たる知識(客観的な知識)としては申し分ありません。が、しかし、果たしてそれが第一人称たる当事者ご当人にとっての体得された智慧と化しているかと言えば、甚だ疑わしいものを感じざるを得ません。則ち、冒頭の「孫子の特徴は何ですか」との司会者の問いに、すかさず「即効性のあることです」と明言されたことがまさにそのことを如実に物語っております。
要するに、この学者先生は、孫子兵法は、『史記』の孫子勒姫兵(そんしろくきへい)のエピソードにあるがごとく、言葉の問題ではなく、実践的な行動思想の問題であるということが良く分かっておられないなのであります。
ともあれ、孫子に関してなぜそのような珍奇な現象が生ずるのかにつきましては、下記のネット書店アマゾンの電子書籍【孫子 一問一答】シリーズ 第一回で詳説しておりますので御一読ください。
終わりに、報道によれば、憲法改正問題にからんでの国民投票法の制定も近く予測されているようであります。一番肝心なことは、日本人が原理的・本質的に物事を深く思考できる脳力があるか否かを、あるいは日本民族の政戦略的思考のレベルのいかんを(その選択の結果としておのずから)如実に試される時代が到来するということであります。
が、しかし、(娯楽・レジャー・スポーツ・芸能ネタ、はたまたスマホゲーム・マンガなどに酔いしれて日本民族の魂を抜かれているがごときの)現状では極めてお寒いものがあると言わざるを得ません。そのような時代の到来に備え、あるいは何事によらずマインドコントロールされて騙されないためにも、今、日本人が謙虚かつ真摯に学ぶべきものは、まさに孫子兵法であるとする所以(ゆえん)であります。
※ご案内
※併設 拓心観道場「古伝空手・琉球古武術」のご案内
孫子を学ぶのになぜ古伝空手・琉球古武術なのか、と不思議に思われるかも知れません。だが、実は、極めて密接な関係にあります。例えば、彼のクラウゼヴィッツは、「マクロの現象たる戦争を、言わば個人の決闘的なミクロの戦いへ置き換えることのできる大局的観察能力・簡潔な思考方法こそが、用兵の核心をなすものである」と論じています。則ち、いわゆる剣術の大なるものが戦争であり、勝つための言わば道具たる剣術・戦争を用いる方法が兵法であるということです。
とりわけ、スポーツの場合は、まずルールがあり、それをジャッジする審判がいます。つまり、スポーツの本質は、娯楽・見世物(ショー)ですから、おのずから力比べのための条件を同じくし、その上で勝負を争うという形になります。つまりは力比べが主であり、詭道はあくまでも従となります。そうしなければ娯楽・見世物にならず興行が成り立たないからです。
これに対して、武術の場合は、ルールもなければ審判もいない、しかも二つとない自己の命を懸けての真剣勝負であり、ルールなき騙し合いというのがその本質であります。つまるところ、手段は選ばない、どんな手を使ってでも「勝つ」ことが第一義となります。おのずから相手と正面切っての力比べは禁じ手となり、必ず、まず詭道、則ち武略・計略・調略をもってすることが常道となります(まさにそのゆえに孫子が強調するがごとく情報収集が必須の課題となるのです)。
つまり孫子を学ぶには武術を学ぶに如(し)くはなしであり、かつ古伝空手・琉球古武術は、そもそも孫子兵法に由来する中国武術を源流とするものゆえに、孫子や脳力開発をリアルかつコンパクトに学ぶには最適の方法なのです。
古伝空手・琉球古武術は、日本で一般的な、いわゆる力比べ的なスポーツ空手とは似て非なる琉球古伝の真正の「武術」ゆえに誰でも年齢の如何(いかん)を問わず始めることができ、しかも生涯追及できる真なる優れものであります。興味のある方は下記の弊サイトをご覧ください。
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- 28:日本人のルーツ『倭人はどこから来たのか』の出版のお知らせ
- 2016年01月02日
- 27:【孫子 一問一答】シリーズ 第六回の「立ち読み」のご案内
- 2015年08月13日
- 26:孫子の曰う『拙速』と、いわゆる「拙速」の典型例たる「戦争法案」との関係
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- 25:【孫子正解】シリーズ 第十回の「立ち読み」のご案内
- 2015年06月01日
- 24:【孫子 一問一答】シリーズ 第五回の「立ち読み」のご案内
- 2017年05月23日
- ※「孫子に学ぶ脳力開発と情勢判断の方法」通学ゼミ講座 受講生募集
- 2015年01月07日
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- 2014年09月29日
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- 2014年06月16日
- 19:電子書籍【孫子 一問一答】シリーズ第二回出版のお知らせ
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