24:【孫子 一問一答】シリーズ 第五回の「立ち読み」のご案内
一、【孫子 一問一答】シリーズについて
古来、有名な孫子を学び活用しようとしても、結局、一知半解に終始し、心ならずも消化不良を来たしてしまうのは、誰しもが経験されたことではないでしょうか?
たとえば「孫子は難解であり、何度読んでも疑念が生じてくる」「個々の金言名句には深く感銘を受けるものの、各篇とのつながりが不明確で、全体を通しての体系に一貫した理解が得られない」「軍事だけに止まらず、政治・経済・外交・思想・法令・教育など幅広く多岐に亘って包括する内容は、一体何を主張したいのか釈然としない」などであります。
実は、そのような孫子に関わる様々なご質問がこれまでに、弊塾サイト『孫子に学ぶ脳力開発と情勢判断の方法』〈孫子塾の広場〉に三百件余り寄せられております。そのような個別具体的なご質問に対し、とりわけその趣旨に即しての明快な答えを提示し、かつ肩の凝らない読み物として整理しまとめたものが、第五弾としての【孫子 一問一答】シリーズ第五回です。
この【孫子 一問一答】シリーズは、「孫子兵法独習用テキスト」として御好評を頂いております【孫子正解】シリーズ(第一回~九回まで既刊)と表裏一体の関係にあり、言わば入門篇的なものです。併せてお読み頂ければ幸甚です。
二、【孫子 一問一答】シリーズ 第五回の目次について
〈存亡の章〉
①孫子は「先知の兵法」とも称されますが、「詭道」との関係を教えて下さい。
②「記憶力の良さ」は、脳力開発において有害無益とされますがなぜでしょうか。
③孫子は、いわゆる集団的自衛権についてどのように論じているのでしょうか。
〈制権の章〉
④孫子の理論体系(全体構造)と体系図について教えて下さい。
⑤いわゆる「三十六計逃げるが勝ち」と孫子兵法とは関係があるのでしょうか。
⑥健全なる懐疑的精神を発揮して大局的見地から専門家を領導するのがリーダーである。
〈詭道の章〉
⑦いわゆるマインドコントロールをいかに脱するか、その考え方を教えて下さい。
⑧納得すればガラリと意見を変えることは戦略的に見て正しい行動なのでしょうか。
⑨いわゆる「鵜(う)の真似(まね)する烏(からす)」と、戦略・戦術との関係を教えて下さい。
〈兵家の章〉
⑩「戦術なき戦略は空論」と、「戦略なき戦術は無意味」の意味を教えて下さい。
⑪孫子の深い意味を理解するにはどうすれば良いのでしょうか。
⑫いわゆるヤル気が無くなることを未然に防ぐ何か良い方法を教えて下さい。
〈廟算の章〉
⑬戦争が已(や)むことなく繰り返されるのはなぜでしょうか。
⑭先生は孫子をどこで、どのようにして勉強したのでしょうか。
⑮将の五危(必死・必生・忿速・廉潔・愛民)についてお尋ねします。
三、立ち読み
ここでは〈存亡の章〉【ご質問】③:「孫子は、いわゆる集団的自衛権についてどのように論じているのでしょうか」についてその内容をご紹介します。
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(中略)
戦争の発生する情勢について、彼の呉子は、①天下の王者・覇者になろうとして名を争う場合(義兵)、②自国の利を得ようとして利を争う場合(強兵)、③永い間に積りに積もった反感が爆発して起こる場合(剛兵)、④一国に内乱が生じてその累(るい)がこちらにも及んで起こる場合(暴兵)、⑤一国が飢餓状態となり、その飢えから逃れるため他国を攻略しようとして起こる場合(逆兵)の五つを挙げています。
ともあれ、『戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。』〈第三篇 謀攻〉を第一義とする孫子においては、上記のごとき状況に適切に対処するための種々な外交上の方法、もしくは様々な計略を運(めぐ)らして戦争を避けるべく努めることはもとより論を俟(ま)ちません。然(しか)るに、不幸にして、そのような外交的努力が功を奏さず、一方的に攻撃されて応戦せざるを得ない状況が「已(や)むを得(え)ずしてこれを用(もち)う」と言うことになります。
孫子が徹底した反戦・平和主義者であり、言わば、個別的自衛権に基づく専守防衛がその基本的立場であるとするゆえんです。
しからば孫子は、本来の自衛権(個別的自衛権)に基づく専守防衛の理念を超えたところの、集団的自衛権(自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもつて阻止する権利)をいかに考えているのか、はたまた、それと深く関係するところの、いわゆる義兵(正義の戦争・正しい戦争)についていかに解しているかということであります。
ここで、義兵(正義の戦争・正しい戦争)とは、他国の暴虐な行為に制裁を加え、内乱による無秩序な状態を回復して弱き人々を救う戦争や軍事行動を言うものですが、一般にこのような場合、数の力で圧迫を加えるのが最も有効適切なやり方なので、どうしても一国の単独行動というよりは、諸国の同盟という形で共同の力を用いるということになります。言い換えれば、このような場合、おのずから前記した強兵(自国の利を得ようとして利を争う場合)的な要素も加味されることになります。
たとえば今日、世界の主要な紛争地域には必ずと言って良いほど顔を出し、その強大な軍事力を行使しようとする、言わば世界の警察官たるアメリカ軍と、状況によりその軍事行動に加勢するいわゆる多国籍軍との関係がその典型例と言えます。
言い換えれば、まさに集団的自衛権の問題であり、見方を変えれば、「義兵」の問題ということになります。近年、我が国においても同盟国たるアメリカ軍の後方支援を巡っての喧(かまびす)しい論争が巻き起こっていますが、おのずから、そこには、強兵(自国の利を得ようとして利を争う場合)的な要素もまた加味されてくるということであります。
もとより、そのシチュエーションは異なるにしても、孫子は、右の「集団的自衛権」のごときテーマについて、『彼(か)の王覇の兵、大国を伐(う)てば、則ち其(そ)の衆、聚(あつ)まるを得ず。威、敵に加うれば、則ち其の交わり合するを得ず。是の故に天下の交わりを争わず、天下の権を養わず、己の私を信(の)べ、威、敵に加わる。』〈第十一篇 九地〉と論じております。
つまり孫子は、「いやしくも高い理想を掲げ、高邁(こうまい)な志を抱くほどの者は、独立独行の精神に富み、たとえば、弱い者が、徒(いたずら)に仲間を求めて数の力を頼み、あるいは闇雲(やみくも)に強い者の後ろ盾を求めたりして、返ってそれらの勢力を益々増大させたりするような愚を犯したりはしない。
この世において、真に頼むところのものは、結局、己以外にはいないと覚悟し、平素より、みずからの実力の涵養に努めることに力を傾注するものである。その結果、おのずからその勢威は敵対者の上に加わるに至るものであり、一朝開戦の秋(とき)に臨めば、向かうところ敵なしの状態になる」と曰うのです。則ち、そもそも自分の国は自分で守るというのが自主独立の精神であるゆえに、凡そ、集団的自衛権なる思想は孫子兵法の採(と)るところではないと曰うのです。
たとえば、今日の世界においては、国連憲章のもとに安全保障理事会があり、国際の平和と安全を回復し維持するために必要な措置が提案され、決議が決定されると加盟国にそれを強制する能力を持っています。
しかし、その理想はともあれ、現実は、たとえばある紛争の当事者のそれぞれの側に、利害関係を有する常任理事国が関わっているような場合は、おのずから決議を拒否する反対投票、則ち「拒否権」が行使され決議が否決されるという仕儀に至ります。つまり、国連の紛争解決能力は機能不全に陥るということになります。逆に言えば、自国の安全保障を第三者に委ねるということは、極めて安易にして無責任、かつ危険な思想ということになります。
ことの事情は、いわゆる日米安保条約においても同様です。たとえば、仮に尖閣諸島に中国軍が軍事侵攻して来たとしても、日米安保条約の第五条、「共通の危険に対処するように行動することを宣言する」という条文の文言に従って、直ちにアメリカ軍が馳せ参じ、日本のために戦い血を流してくれるということにはなりません。
何となれば、NATO条約では、有事の際の「武力行使」が明文化されておりますが、日米安保条約の第五条には、「共通の危険に対処するように行動することを宣言する」とう文言があるのみで、「武力行使を含む」の文言の記載がないからです。つまり、有事の際の「武力行使」の確約ではないということです。
言い換えれば、日米安保条約は、日本が有事の際、アメリカの集団的自衛権や積極的防衛義務を明記しているわけではないため、仮に尖閣諸島に中国軍が軍事侵攻して来たとしても自動的にアメリカが「武力行使」による対日防衛義務を負うわけではないということです。
因みに、今日のアメリカ合衆国憲法では、武力行使・戦争が連邦議会で決議されないと開始できないことになっております。そのゆえに、アメリカは、仮に尖閣諸島に中国軍が軍事侵攻して来た場合、日米安保条約の「自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」という条文の文言に従い、まず連邦議会で武力行使決議案の成立を待つということになります。
さらに、今日の国際情勢における米中関係から言えば、東シナ海の無人島たる尖閣諸島防衛のために、アメリカ軍が中国軍と戦うのは国益に反するとして否決される可能性は大なるものがあると言うことです。仮にそうであれば、そもそも日米安保条約なるものは一体、何だったのか、日本及び日本人は、アメリカ及び日本の亡国的政治家にすっかり騙(だま)されて、マンインドコントロールされていたのか、ということになります。
ともあれ、今日の日本人の多くは、アメリカ軍をあたかもパトカーのごとく心得、110番をかけて「中国軍が来ました。すぐに来てください」という図式を能天気に妄想していますが、それは非現実的な思い込みと言わざるを得ません。ゆえに孫子は『天下の交わりを争わず、天下の権を養わず、己の私を信(の)べ、威、敵に加わる。』〈第十一篇 九地〉と曰うのであります。
また、義兵(正義の戦争・正しい戦争)ということで言えば、たとえば、アメリカが軍事介入する場合、必ず「人道主義」の旗印を掲げ、その常套句(じょうとうく)たる「悪の枢軸国を退治する」、「内乱により迫害されている人々を救う」、「政治的に不安定なエリアに安定をもたらす」などのスローガンを振りかざし、彼らの論理で言う「正義かつ必要な戦争」に突入するのを常としています。
言わば、アメリカの独善的な人道的軍事主義とでも言うべきものですが、果たしてそこに彼らの主張する「正義の戦争・正しい戦争」があるのかと言えば、答えは明白に「NO」と言わざるを得ません。
何となれば、そもそも戦争の当事者たる双方の立場からすれば、ともに自衛の戦争であり、ともに正義の戦争であることは蓋(けだ)し当然のことだからです。まさにそのゆえに、見方を変えれば、独善的な人道的軍事主義に名を借りて強大な軍事力を行使するアメリカこそ、世界最悪のテロ国家であるとも言えますが、問題は誰もそれを犯罪と見なさないというだけなのです。
たとえば、かつてアメリカは、極東の島国にして民族・言語・宗教を同じくする日本の占領政策に確かな成功を収めました。
さりながら、言わば極めて特殊なその事例を普遍的なものと誤解して、世界の、いわゆる通常の国家(異なる民族・言語・宗教が混在するなど様々な諸事情が複雑かつモザイク的に絡み合っている意)に対し、「かつての日本占領政策例のごとくあるべし」とする無邪気にして独善的なイデオロギー(思想傾向・考え方の意)を強要するべく行動するため、逆に、パンドラの箱を開けてしまうような愚行を演じることになり、混乱を鎮めるどころか、ますますそれに拍車をかけるような事態を惹起しております。
あるいはまた、かつて中国の春秋時代末に諸子百家の一つである墨子(ぼくし)が創始し、戦国末まで儒家と思想界を二分する勢力を誇った墨家(ぼくか)という思想家集団がおりました。彼らは侵略戦争を否定する独特の「兼愛・非攻主義」に基づいて独自の武装防御集団を保有し、言わば「お助け人・助っ人」として各地の守城戦で活躍しましたが、秦の中国統一などの激動の中で、勢威が衰えやがて姿を消しました。
その主義主張は、「平時、人を殺すことは、直ちに犯罪とみなされるが、こと戦争となると、多数の殺害が英雄として賞賛される。一人の殺害を国法や社会の法で裁いている一方で、他方では多数の殺害を正当化する。これは詭弁である。いったい戦争とは何なのか。まさに戦争を仕掛ける行為をこそ問うべきである。相手に攻撃をかけたい社会意識と国家主義こそ打倒すべきである」と言うにあります。
とりわけ、その特異性は、自説たるその思想と行動を、頑(かたく)なに守り貫いたことでありますが、まさにそのことが、後世、文字通り「墨守」という故事成語の由来となったのです。
さて、しからば、上記したような、たとえばアメリカの「独善的な人道的軍事主義」、あるいは「墨守」の故事の所以(ゆえん)となった「兼愛・非攻主義」などの、いわゆるイデオロギー(ここでは思想傾向・考え方の意)について、孫子はいかなる立場に立っているのかということであります。言い換えれば、孫子兵法といわゆるイデオロギーの関係やいかに、ということです。
孫子兵法の特長は、弁証法的思考でいう対立矛盾(対立物が相互に転化し、矛盾によって発展する意)の代表たる『戦い(対立闘争)』に特化して、ひたすらそのことだけを論じたという点にあります。凡そ「戦い」は、ことの大小広狭を問わず、個人の生命、あるいは組織や国家の命運に関わる極めて重大事であり、その対立闘争の最も激烈なものが戦争ということになるのであります。
その戦争に特化して対立闘争の原理を専一に論ずる孫子を学ぶということは、言い換えれば、その根底に「事物の変化」を重視する弁証法的思考が一貫しているゆえに、その応用範囲は極めて広く、ひとり軍事面のみに止まらず、遍(あまね)く人間の社会生活に通用する道を説くものであり、これを学ぶことは、則ち、終わりなき戦いの連続たる実人生の世界を強く生き抜くための叡智を磨くことに他なりません。孫子が「最古にして最新の稀有な書物」と評される所以(ゆえん)です。
……続きは、【孫子 一問一答】シリーズ 第五回でご覧いただければ幸甚です。
※この【孫子 一問一答】シリーズは、『孫子兵法独習用テキスト』として御好評を頂いております【孫子正解】シリーズ(第一回~八回まで既刊)と表裏一体の関係にあり、言わばその入門篇的なものであります。
【孫子正解】シリーズ(第一回~九回まで既刊)も併せてお読み頂ければ幸甚です。
※お知らせ
孫子塾では、孫子に興味と関心があり、孫子を体系的・本格的に、かつ気軽に学べる場を求めておられる方々のために、以下の講座を用意しております。
※併設 拓心観道場「古伝空手・琉球古武術」のご案内
孫子を学ぶのになぜ古伝空手・琉球古武術なのか、と不思議に思われるかも知れません。だが、実は、極めて密接な関係にあります。例えば、彼のクラウゼヴィッツは、「マクロの現象たる戦争を、言わば個人の決闘的なミクロの戦いへ置き換えることのできる大局的観察能力・簡潔な思考方法こそが、用兵の核心をなすものである」と論じています。則ち、いわゆる剣術の大なるものが戦争であり、勝つための言わば道具たる剣術・戦争を用いる方法が兵法であるということです。
とりわけ、スポーツの場合は、まずルールがあり、それをジャッジする審判がいます。つまり、スポーツの本質は、娯楽・見世物(ショー)ですから、おのずから力比べのための条件を同じくし、その上で勝負を争うという形になります。つまりは力比べが主であり、詭道はあくまでも従となります。そうしなければ娯楽・見世物にならず興行が成り立たないからです。
これに対して、武術の場合は、ルールもなければ審判もいない、しかも二つとない自己の命を懸けての真剣勝負であり、ルールなき騙し合いというのがその本質であります。つまるところ、手段は選ばない、どんな手を使ってでも「勝つ」ことが第一義となります。おのずから相手と正面切っての力比べは禁じ手となり、必ず、まず詭道、則ち武略・計略・調略をもってすることが常道となります(まさにそのゆえに孫子が強調するがごとく情報収集が必須の課題となるのです)。
つまり孫子を学ぶには武術を学ぶに如(し)くはなしであり、かつ古伝空手・琉球古武術は、そもそも孫子兵法に由来する中国武術を源流とするものゆえに、孫子や脳力開発をリアルかつコンパクトに学ぶには最適の方法なのです。
古伝空手・琉球古武術は、日本で一般的な、いわゆる力比べ的なスポーツ空手とは似て非なる琉球古伝の真正の「武術」ゆえに誰でも年齢の如何(いかん)を問わず始めることができ、しかも生涯追及できる真なる優れものであります。興味のある方は下記の弊サイトをご覧ください。
- 2017年01月21日
- 28:日本人のルーツ『倭人はどこから来たのか』の出版のお知らせ
- 2016年01月02日
- 27:【孫子 一問一答】シリーズ 第六回の「立ち読み」のご案内
- 2015年08月13日
- 26:孫子の曰う『拙速』と、いわゆる「拙速」の典型例たる「戦争法案」との関係
- 2015年06月16日
- 25:【孫子正解】シリーズ 第十回の「立ち読み」のご案内
- 2015年06月01日
- 24:【孫子 一問一答】シリーズ 第五回の「立ち読み」のご案内
- 2017年05月23日
- ※「孫子に学ぶ脳力開発と情勢判断の方法」通学ゼミ講座 受講生募集
- 2015年01月07日
- 22:【孫子 一問一答】シリーズ 第四回の「立ち読み」のご案内
- 2014年09月29日
- 21:【孫子 一問一答】シリーズ 第三回の「立ち読み」のご案内
- 2014年07月23日
- ※著者からの「読者サービス」のお知らせ
- 2014年06月16日
- 19:電子書籍【孫子 一問一答】シリーズ第二回出版のお知らせ
- 2014年04月10日
- 18、根本的におかしいNHK・百分de名著「孫子」
- 2014年03月14日
- 17、孫子兵法の大前提となる「兵力比互角」の問題について
- 2014年01月17日
- 16、現行孫子と「竹簡孫子」の根本的な違いについて
- 2013年12月22日
- 15、〈第三篇 謀攻〉に曰う「兵力比互角の戦法」について
- 2013年12月12日
- 14、 孫子の曰う『善後策』と『拙速』の真意について
- 2013年10月30日
- 13、孫子の巻頭言と「五事」「七計」について
- 2013年08月06日
- 12、孫子の理論体系(全体構造)と体系図について
- 2013年04月18日
- 11、電子書籍【孫子正解】シリーズ第一回 出版のお知らせ
- 2012年12月27日
- 10、なぜ孫子兵法を学校で教えないのでしょうか
- 2012年05月05日
- 9、現代日本人はなぜ兵法的思考(戦略思考)が不得手なのか
- 2011年10月20日
- 8、老子と孫子の共通性について
- 2011年05月30日
- 7、孫子兵法と易経・老子・毛沢東・脳力開発との関係について
- 2011年05月24日
- 6、『敵を殺す者は怒りなり』の通説的解釈を斬る
- 2011年04月07日
- 5、 孫子の曰う『善後策』と、一般に謂う「善後策」とは似て非なるものである
- 2010年12月01日
- 4、危うきかな日本 ~尖閣ビデオ流出行為は非国民かヒーローか~
- 2010年08月26日
- 3、孫子の曰う『拙速』と、巷間いわれる「拙速」の根本的な違いについて
- 2010年05月22日
- 2、「孫子はなぜ活用できないのか」のご質問に答えて
- 2008年11月20日
- 1、孫子をなぜ学ぶ必要があるのか