1、孫子をなぜ学ぶ必要があるのか
誕生とともに始まり、死とともに終る戦闘者という意味での個としての人間は、特に孫子兵法を学ばずとも、誰でも(例えば古代人が集団でマンモス狩りを行う場合においても)本能的に戦いの論理たる兵法的道理に則って動くものです。
とは言え、個々の「戦いの論理」というレベルに止まっているだけでは見えてこない戦いの世界の実相もあることを人間は次第に学んできました。すなわち、数多(あまた)の先人がその実戦の体験を通して何が有利で、何が不利なことなのかを纏(まと)め上げた叡智たる知の体系(孫子をはじめとする兵書や戦史・戦訓)をいわゆる兵学という形で伝承してきたのであります。
この兵学は、個々の戦闘者たる生死や時間とはとりあえず切り離されたものであり、言わば第三者的な客観的・普遍的な知識として成立しております。逆に言えば、兵学は、戦いが「いかなるものであるか」を教えるものではありますが、だからと言ってそこから直ちに、個々の「戦いの論理」における「いかに戦うべきか」の答えが導き出されるわけではありません。
然(しか)らば、孫子兵法を学ぶことは全く不要か。そうではありません。
まず、戦いに関する客観的・普遍的な知識を得ることは、個別特殊的な自己の戦いの適切な評価基準として活用することができ、かつ勝利への極めて有効な示唆を与えてくれというであります。とりわけ孫子兵法には、そのような先人の叡智が無駄なく無理なく、かつ体系的に纏(まと)められております。
次に、いくら才気煥発にして優れた人物といえど雖(いえど)も、人間一個の生涯における経験などたかが知れております。一般的に、人間一生の活動期間は、幼少の時と老後とを除けば、せいぜい四、五十年間に過ぎません。
その意味で孫子を始めとする兵書を読めば、少なくとも何千年かの古人の経験を追体験して自己の内に自己の新たな見識として加えることができます。つまり、難問に際会しても『故に、兵を知る者は、動いて迷わず、挙げて窮せず。』<第十篇 地形>のごとき揺るぎなき活路を見出すことが可能となるのです。
さらに、次のように言うことができます。
すなわち、自分というかけがえのない存在が密接に関わる「戦いの論理」と、戦いの客観的な知の体系たる兵学とを合一させることは必ずしも容易ではなく、ともすれば「言うは易く、行うは難し」となり兼ねません。言わば、「兵書読みの兵書知らず」ということであり、彼のナポレオンが「文法に熟達したからといって、優れた詩は作れぬ」と戒めている所以(ゆえん)です。
この両者を巧みに融合させるためには、あらゆる事象に共通し、かつ物事の土台に相当するような見えない部分、もしくは裏の部分を思考する力を磨くことが必要です。
現状変革の思想たる孫子兵法や脳力開発はまさにそのことを学ぶ最適の優れものであり、これにより、脳力すなわち「大脳の外界への適応力」が高まり、外の世界に対して自分のアイディアで適応してゆくことができるのです。古来、真の意味での「頭の良さ」とはまさにそのようなことを言うのであります。
そもそも戦いは、同じ形が再び繰り返されるということありません。かつ千変万化を本質とするものゆえ、まさに臨機応変・状況即応を旨とせざるを得ないのであり、その意味で、勝利のための固定した原理・絶対的な原則などはない、あるのは利用すべき状況だけということになります。
その肝心の正念場において適切な決断が下せるか否かは、その事実の中でいかに思索し自分で適切な答えを導き出すかということであり、つまるところは(精神力の問題を含め)将たる者の個人的資質の問題に帰一することになります。
その意味で、兵法上の根本問題はまさに人間精神の根本問題を通じて考えることができるのであります。
この命題を追究する理論的体系を提示するものがまさに孫子兵法であり、世界最古の兵書として二千五百年以上も読み継がれてきた所以(ゆえん)です。この孫子兵法の言わば実践論的体系として位置づけられるものが脳力開発であります。
※【孫子正解】シリーズ第1回出版のご案内
このたび弊塾では、アマゾン書店より「孫子兵法独習用テキスト」として下記のタイトルで電子書籍を出版いたしました。
興味と関心のある方はお立ち寄りください。
※お知らせ
孫子塾では、孫子に興味と関心があり、孫子を体系的・本格的に、かつ気軽に学べる場を求めておられる方々のために、以下の講座を用意しております。
※併設 拓心観道場「古伝空手・琉球古武術」のご案内
孫子を学ぶのになぜ古伝空手・琉球古武術なのか、と不思議に思われるかも知れません。だが、実は、極めて密接な関係にあります。例えば、彼のクラウゼヴィッツは、「マクロの現象たる戦争を、言わば個人の決闘的なミクロの戦いへ置き換えることのできる大局的観察能力・簡潔な思考方法こそが、用兵の核心をなすものである」と論じています。則ち、いわゆる剣術の大なるものが戦争であり、勝つための言わば道具たる剣術・戦争を用いる方法が兵法であるということです。
とりわけ、スポーツの場合は、まずルールがあり、それをジャッジする審判がいます。つまり、スポーツの本質は、娯楽・見世物(ショー)ですから、おのずから力比べのための条件を同じくし、その上で勝負を争うという形になります。つまりは力比べが主であり、詭道はあくまでも従となります。そうしなければ娯楽・見世物にならず興行が成り立たないからです。
これに対して、武術の場合は、ルールもなければ審判もいない、しかも二つとない自己の命を懸けての真剣勝負であり、ルールなき騙し合いというのがその本質であります。つまるところ、手段は選ばない、どんな手を使ってでも「勝つ」ことが第一義となります。おのずから相手と正面切っての力比べは禁じ手となり、必ず、まず詭道、則ち武略・計略・調略をもってすることが常道となります(まさにそのゆえに孫子が強調するがごとく情報収集が必須の課題となるのです)。
つまり孫子を学ぶには武術を学ぶに如(し)くはなしであり、かつ古伝空手・琉球古武術は、そもそも孫子兵法に由来する中国武術を源流とするものゆえに、孫子や脳力開発をリアルかつコンパクトに学ぶには最適の方法なのです。
古伝空手・琉球古武術は、日本で一般的な、いわゆる力比べ的なスポーツ空手とは似て非なる琉球古伝の真正の「武術」ゆえに誰でも年齢の如何(いかん)を問わず始めることができ、しかも生涯追及できる真なる優れものであります。興味のある方は下記の弊サイトをご覧ください。
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