5、 孫子の曰う『善後策』と、一般に謂う「善後策」とは似て非なるものである
一般に、いわゆる「善後策」の意味は、次のように説明されている。
1、事件などのあとをうまくおさめるための方策。あと始末の手段。
2、後始末をうまくつけるための方法。善後策を講じる。
3、起こった物事の後々がよいように立てた方策、手段。
4、事後の改善を期する後始末の方策・手段。
即ち、一般に謂うところの「善後策」とは、つまるところ「事が起きてからの後始末、もしくは事後処理を巧みに行うこと」の意に解されている。なるほど、そのゆえなのか、確かに日本社会、とりわけ政・官・学・財界においては、まさに「事が起きてから対策を講ずる」という傾向が顕著に見受けられる。今回の福島第一原発事故の顛末などはまさにその典型例である。が、しかし、もしそれが日本の常識であるならば、明らかにそれは誤りであり、言わば、日本人の民族的欠陥の一つと断ぜざるを得ない。
ところで、このことに関して孫子は、『夫れ、兵を鈍らし鋭を挫き、力を尽くし貨をつくせば、則ち諸侯、その弊に乗じて起こり、智者有りと雖も、その後を善くする能わず。』<第二篇 作戦>と論じている。
一般にこの意は、「もし軍も疲弊し鋭気も挫かれて、やがて力も尽き財貨も尽きたということになれば、周辺の諸侯たちはその困窮につけこんで襲いかかり、たとえ味方に智謀の人がいても、とてもそれを防いで巧く後始末をすることはできない」と解されている。
このことから、いわゆる「善後策」とは、上記の原文たる『不能善其後矣(其の後を善くする能わず)』の「善」と「後」から生まれた熟語とも解されるが、ともあれ、今日、いわゆる善後策は、(孫子の本意はさておき)事が起きてからの後始末、もしくは事後処理を巧みに行うことの意に解されているのである。
逆に言えば、孫子の言は(逆説に満ちているゆえに)その反面を読むことが肝要なのであって、ただ主観的、一面的、表面的に文意を解釈するだけでは、『善後策』<第二篇 作戦>に関する孫子の本意には迫れない、と言うことである。
一、兵法とは、「行き詰まらないこと」を以てその一大事とする
言わずもがなのことであるが、孫子兵法の目的は「いかに勝つか」にある。即ち『死生の地、存亡の道』<第一篇 計>を論ずる兵法の観点から言えば、そもそも「事が起きてから、さてどうするか」では余りにお粗末過ぎて話にも絵にもならない。これは普通の頭で普通に考えれば誰でも分かることであり、ことさら言う方が恥ずかしいくらいである。
『夫れ、兵を鈍らし鋭を挫き、力を尽くし貨をつくせば、則ち諸侯、その弊に乗じて起こり、智者有りと雖も、その後を善くする能わず。』<第二篇 作戦>を普通の頭で普通に読めば、孫子の真に言いたいことは上記文意の逆説である「そうなる前に、そうならないように手を打て、それが智者(リーダー)たる者の資質であり、責務である」の意に解されるはずである。
孫子の場合は、たまたまその結論が「ゆえに『拙速』たるべし」となるだけの話であって、『善後策』の普遍性という観点から言えば、もとより『拙速』に拘泥する必要は全く無いのである。斯(か)く解することにより、孫子は二千五百年の時と空間を超えて我々の善き参謀役として傍らに控えるのである。
いくら時代が変化し、社会や制度の仕組みが革(あらた)まり、科学技術が進歩発展しても、その中核的存在たる人間の心身や本質は殆ど変わらないということである。吾人が孫子を学ぶ所以(ゆえん)である。
ともあれ、兵法とは、「転ばぬ先の杖」であり、「行き詰まらないこと」をもってその一大事とするものである。ゆえに『そうなる前に、そうならないように手を打つ』ことは理の当然のことであり、言わずもがなのことである。然(しか)るに、(今回の福島第一原発事故のごとく)事が起きてから右往左往するような体たらくでは、そもそもリーダーたるの資質に欠け、その責務の何たるかが全く分かっていない輩(やから)、と言わざるを得ない。
にもかからわず、一般に、いわゆる「善後策」は、「事が起きてから、さてどうするか」の意に解されている。まさに現代日本人は、孫子の片言隻句を恣意的に引用し正当化していると言わざるを得ず、「生兵法は大怪我の基」の謗(そし)りを免れない。
なぜそのような能天気な発想になるのか、実に理解に苦しむところである。もとよりそこには、日本人の民族的欠陥の一たる「責任回避の事なかれ主義」「長い物には巻かれろ式の受動的な精神的姿勢」などの影響もあるのであろう。が、何と言っても、その主たる原因は、孫子の片言隻句が断章取義的に理解されて勝手に一人歩きし、『本当は分かっていないのであるが、分かった積りになっている』ことにあると言わざるを得ない。
もとより、「一を聞いて十を知る」のは人間的知性のあるべき姿である。が、「一を聞いて十を知る」のではなく、「一を聞いて十を知った積りになる」のは、まさに「己を知らざる者」の典型であり、いわゆる「バカ」と評さざるを得ない。言い換えれば、まさにこれこそ、現代日本人が真に改めるべき悪しき思考習慣である。今日の様々な風評被害や、マスコミに顕著な大勢追随の付和雷同的な報道姿勢などまさにそのことをを雄弁に物語っている。
そもそも、孫子の原文は、文字数にして六千余文字である。四百字詰めの原稿用紙にすると、僅か十五、六枚程度であり、その意味では大変に短い。誰が見ても、断章取義的に読まねばならぬほどの分量ではない。益してや、各篇は、おのおの独立した一篇として存在しつつも十三篇全体においては相互の理論的関係によって、まさに『常山の蛇』<第十一篇 九地>のごとく首尾一貫した兵法的思想を有するものにおいてをや、である。
つまり孫子は、これを総合的・体系的に理解することが肝要なのであり、断章取義的なアプローチは返って孫子の理解を著しく妨げている、と言わざるを得ない。
蛇足ながら、彼の明治の文豪・二葉亭四迷の遺言状に「遺族善後策」なる言葉があるが、もとよりこれは、一般に謂われている意味での善後策、即ち「事が起きてからの後始末、もしくは事後処理」の意にはならない。
これを記した彼の立場からすれば、自身の死後、遺族間でトラブルが起きないように配慮してのことであり、まさに「そうなる前に、そうならないように手を打った」ということになるからである。因みに、彼がこの「遺族善後策」を記したのは明治42年3月22日である。彼は同年4月にロシアに向け出航したが、5月10日、ベンガル湾上で客死している。
孫子の曰う『善後策』<第二篇 作戦>とは、まさに上記のごとく「そうなる前に、そうならないように手を打つ」ことであり、いわゆる事後処理、即ち「事が起きてから、さてどうするか」を論ずものでは無いのである。
言い換えれば、世間一般で謂う「善後策」なるものは、例えば、二葉亭四迷が自身の死後、慌てて甦(よみがえ)り、自らの手で後顧の憂いたる「遺族善後策」を記すがごときものである。バカバカしくて話にもならない。まさに「風呂の中で屁をひった」ようなもので、「糞の役にも立たない代物」と言わざるを得ない。論より証拠、今日の福島第一原発事故はまさにその馬鹿さ加減を雄弁に物語っている。
二、軍事の専門家を自任していた旧日本軍部は、実は、戦争が分かっていなかった
かつて日本陸軍が孫子の兵法を学ばなかった理由として、故武岡淳彦先生は次のように述べておられる(日本陸軍史百題より)
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昭和四年陸大専攻学生として一年間入校した武藤章少佐(日中戦争開戦時の参謀本部作戦課長・東京裁判で刑死)は、「クラウゼヴィッツ及び孫子の比較研究」を行ったが、結局良く分からないとのことであった。
また、戦前ドイツ大使館付武官を、さらに戦争中ドイツ大使を務め、東京裁判で終身刑を宣告された大島浩氏は、ドイツ参謀本部戦史部の一将校とクラウゼヴィッツを論じた時、話が孫子に及び、その将校から両者の比較を問われ、次のように述べたという。
『戦争の哲理を説くことは同じだが、クラウゼヴィッツは近世の著であり、西洋の本である。ゆえに、科学的に記述されているが、孫子は数千年前に支那で書かれ、内容は深遠だが記述は亡羊としている。これを例えれば、釣鐘のようで、弱く叩けば弱い音しか出ず、強く叩けば強い音を出す。即ち、読者の能力により貴重な教訓も得られが、また大した教訓を得られぬ兵書であるところに特色がある』。
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要するに、『孫子は古典としては尊重する。しかし、近代戦の戦法・戦術という意味においては、最早、時代遅れであり、機械化された兵器の時代には殆ど研究の余地が無い』と言っているのである。
逆に言えば、学校秀才たる軍事官僚(言わば軍服を着たキャリア)達は、その近代戦の戦術的方法をいかに活用して本来の政治目的を達成するかという、大局的かつ高度な戦略的方法においては、全く戦争を理解していなかったと言うことである。つまりは、『兵は不祥の器』という戦争の本質を深く突き詰めて考えようともせず、ただ「近代戦の戦法・戦術」という危険なオモチャを振り回して、戦争のための戦争をしていたと言うことである。その彼らの眼から見れば、確かに孫子はそのように映るであろう。
が、しかし、そもそも孫子は、そのような次元の兵書ではないのである。世に世間知らずを表す『夜郎自大(夜郎自らを大なりとす)』の故事があるが、まさに彼ら軍事官僚はそれを地で行く者たちと言わざるを得ず、言わばお釈迦様にお仕置きをされる以前の孫悟空のごときレベルであったのである(尤も、敗戦という形で結局はお仕置きをされたのであるが)。
その意味では、彼ら軍事官僚の発想とはおよそ対極の思想的立場にある昭和天皇は、広く柔軟な視野からその辺の事情を的確に指摘されている(昭和天皇独白録より)。
『敗戦の原因は四つあると思う。第一、兵法の研究が不十分であった事、即ち孫子の「敵を知り、己を知らねば、百戦殆うからず」という根本原理を体得していなかったこと』と。
もとより例外はあろうが、所詮、学校秀才的なレベルに止まっている限り、「井の中の蛙」のごとく広い大海の世界など知る由もないと言うことである。況んや、リーダーの書たる孫子の理解においてをや、である。逆に言えば、当時の日本には、学校秀才、もしくは専門バカ的な専門家集団(軍事官僚)を常識をもって適切に領導できるリーダーが不在であった、ということである。
三、日本人は今こそ「孫子」を学び、真のリーダーとは何かを考えるべ時である
残念ながら、今日においても「リーダーに人を得ていない」という状況は変わっていない。天災の暴いた「人災」、もしくは犯罪的不作為(その安全性が早くから疑問視されていたにも拘らず、期待された一定の作為が行われなかった意)として日本国民はもとより世界中に有形無形の甚大な被害と影響をタレ流し続けている福島第一原発事故の顛末を見れば一目瞭然である。
まさに孫子の曰う『いやしくもリーダーたる者、そうなる前にそうならないように手を打て、然(しか)らずんば、智者有りと雖(いえど)も、その後を善くする能わず』を地で行くものと言わざるを得ない。
確かに彼らは学校秀才ではあろう。が、裏を返せば、(一般的には)そつの無いいわゆる優等生タイプであるゆえに、何ごとであれ、点数になることは積極的にやるが、点数にならないことには一切関心が無い、という向きが多い(前記の軍事官僚のごとく、戦争の本質は何か、などに思いを致すタイプではないのである)。ただ目先のことに汲々とする、まさにエゴの塊りであり「我利我利」なのである。このタイプを一般に「ガリ勉」と揶揄するが、まさに言い得て妙である。
もとより、その傾向は社会人となってからも遺憾なく発揮される。即ち、仕事はそつ無くこなし、人格温厚、調整力があり、しかも八方美人的に良い顔をして巧みにリーダーへの階段を上って行くタイプなのである。
が、しかし、一朝、事ある時、即ち非常時の修羅場においては、彼らのリーダーたるのメッキは自ずから剥げ落ちざるを得ない。何となれば、彼らの一番やりたくないことは、リスクがあって、しかも点数にならないことだからである。言い換えれば、批判やリスクを恐れず、責任をもって決めるべきことをキチンと決めることを、彼ら優等生に求めることがそもそも無理なのである。
彼らの得意とするペーパーテストは、初めから答えがあり、その答えを暗記すれば満点がとれる性質のものである。しかし、現実世界においては、学校で教える答えがそのまま通用するような問題は皆無であるゆえに、結局は、自分の頭を使い自分で答えを導き出す脳力が要求されるのである。
ましてや、ペーパーテストは、頭の中で考えるだけで足りるが、現実世界においては、実行という問題、即ち頭の中で考えたことを実際に外界に発現させ目的を遂げることが要求されるのである。彼らが「いざ、鎌倉」という重大局面において、なぜか批判を恐れ、決断を避け、責任転嫁を演ずる所以(ゆえん)である。
要するに、平時はともあれ、非常時の修羅場を乗り切る自信が無いのである。論より証拠、彼の東京電力の清水正孝社長など福島第一原発事故のショックで寝込んでしまっている。東大閥が主流の東京電力首脳陣の中にあって清水社長は異色の慶大卒だそうだが、いわゆるエリートであることは間違いない。そのゆえにこそ、今回の清水社長の醜態は、エリートたるトップの悲しいほどひ弱な実体を満天下に晒した結果となった。国民の多くは「何だ、これは」と呆れ果て、東電に対する不信感が顕わになったのである。
世に、ノーブレス・オブリージュ(エリートの責務)なる言がある。いわゆるエリートは、単にエリートのゆえに尊敬されるのではない。一朝、事ある時、恵まれたその資質や地位を活用し、自ら最前線に立ち、体を張って敵と戦い、守るべき人々を守るからこそ尊敬されるのである、と。
我々は、長い間、リーダーとは何かについての真剣な問い掛けを怠ってきた。そして、学歴信仰社会たるこの国には、いつの間にか、学校秀才という名の似非(えせ)リーダーが我が物が顔で跳梁跋扈するようになった。まさにそれこそが今日の日本の停滞を招いている元凶と言わざるを得ない。
まさに国難と称すべき、この東日本大震災を契機として、我々は、学歴信仰社会の忌まわしい呪縛を打ち破る必要がある。そのためにも、まず、日本人の長所と短所を例えば、次のような角度から再確認することが重要となる。
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公平かつ客観的立場から見ても、我が日本民族の優秀性には定評があり、ひとしく世界の認めるところである。しかしそれは(軍隊に譬えて言えば)将校や将軍としての優秀さではなく、どちらかと言えば、命ぜられたことには黙々と誠実に器用にこなす下士官・兵的資質において優れているという評価である。
言い換えれば、戦略的思考ができない、あるいは戦略的思考を不得手とするのが日本民族の特徴であり、裏を返せば、まさにそれこそが世界に冠たる優秀民族の弱点・アキレス腱に他ならず、偏狭な日本社会の陥り易い民族的欠陥とでも評すべきものである。
かつて、日本軍と直接戦った経験のあるアメリカ軍やイギリス軍、あるいはロシア軍の将軍たちの殆んど一致した意見として、「日本陸軍の下士官・兵は優秀だが、将校は凡庸で、特に上に行くほど愚鈍だ」と言われている。
とりわけ彼のマッカーサーは、「日本の高級将校の昇進は(戦争指揮の上手さ・巧みさの基準ではなく)単に年次による順送り人事によるものである。従って、日本の下士官・兵は強いが、日本の軍中央部は必ずしも恐れるに足りない」と断じている。
つまり、日本の高級将校たちは、戦場における指揮能力以前の問題として、戦争をするためには絶対に必要な条件、すなわち孫子の曰う「彼を知り己を知る」という能力、言い換えれば、戦略の構想力が決定的に欠けているということである。
このゆえに、世界最強の軍隊は「統率力があり戦略に優れたアメリカ軍の将軍」と「状況判断が的確で戦術に巧みなドイツ軍の将校」、そして「命ぜられたことには黙々と誠実に器用にこなす日本軍の下士官と兵」の組み合せであると謂われるのである。
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上記のごとき日本人の特質は今日においても何ら変わっていない。とりわけ今回の東日本大震災の救援活動における中央の混乱振り、福島第一原発事故の顛末などを見れば、一目瞭然である。
とりわけ、我々の印象に残るのは、見る影も無い荒涼とした被災地のど真ん中に立って、自己犠牲も厭わず、日夜、孤軍奮闘しているのは、決してノーブレス・オブリージュ(エリートの責務)たるの中央政官財のエリート層たちではなく、自衛隊、消防、警察、自治体、東電の下請け企業の社員などの、言わば無名の現場の人々である。まさに日本は、自己犠牲を厭わない、忍耐強く、規律ある現場の人々の力に拠って支えられていることは明白である。
本来、このような日本人の長所を優秀なリーダーが適切に領導すれば、日本はまさに「鬼に金棒」状態となることは明らかである。が、しかし、このような非常事態にはいつの間にかリーダーの姿が見えなくなるのが実情である。実に憂うべきことである。我々は、今こそ、そもそも「リーダーとは何なのか」を突き詰めて考える必要があり、とりわけ学歴信仰社会の結果たる誤ったリーダー像を厳しく見直すことが必要である。
要するに、優等生タイプの学校秀才は、(一般的には)そもそもリーダーには向かないのである。リーダーには、勇気、胆力、判断力、統率力、決断力などの資質が不可欠だからである。言い換えれば、彼らの頭脳は緻密ゆえに、本来、その役割はあくまでもラインの長のスタッフ(補佐役・研究者・参謀役・学者など)として機能すべきなのである。
今日の日本の最大の不幸は、そもそもスタッフたる官僚が、実際的にはラインの長として振る舞っているところにある。かつての軍事官僚と全く同じである。日本人は本当に懲りない民族と言わざるを得ない。吾人が(リーダー論たる)孫子を学ぶ所以(ゆえん)である。
四、科学には限界があり専門家も万能ではない、これを領導するのがリーダーである
(1)福島第一原発の安全性は早くから疑問視されていた
元東電社員の原子力技術者は、「1960年代の技術のもと、試行錯誤で造られた福島第一原発は、ポンプ設備や非常用電源などの防水性を含めて注意深い設計がなされておらず、安全上おかしな点が多々あった」と証言している。
このたびの人災事故の第一は、外部電源が長時間復旧しなかったことある。もとより、福島第一原発では「外部電源全喪失」を想定した手順が事前に定められ、訓練もされていたと謂う。然(しか)るに、なぜ今回の事態を惹起したのかと言えば、ただ単純に「数時間あれば、外部電源が復旧するだろう」という前提が覆(くつがえ)り、長時間外部電源が復旧しなかったことにある。
要するに、近くに原発があっても「国や東電さんがやっていることだから何も問題はない」「原発事故の確率より、個々人が交通事故に会う確率の方が高い」などのマインドコントロール的な安全神話は予想外のところで根底から崩れたのである。
ここで言う確率とは、あくまでも専門家集団が前提とした一定の状況の中での確率に過ぎない。ひとたび、そのような分析的手法が通じない予想外の出来事が起これば、事態がどう展開するのかは彼ら自身も分からないのである。
かつて旧日本軍は、戦争遂行に当たり、南方資源たる石油などの物資調達に大いなる期待を寄せていた。立案の任に当たった参謀部が「それは十分に可能である」との計画を示したところ、その実現に一抹の不安を抱いていた軍首脳部の一人が、「本当に大丈夫か」と念を押したところ、担当者は「参謀部きっての切れ者将校達が真剣に立案したものだから間違いない」と自信たっぷりに断言したという。
本来なら、ここで軍首脳部は健全なる「懐疑的精神」を発揮して、専門家(参謀部)を領導するのが責務であるにも拘らず、参謀部(専門家)という権威に気おされされて、「それならば」と納得したと言う。
戦後になって、判明したことであるが、実はこの計画は、「開戦当初の想定通り日本軍が連戦連勝していれば」という条件を前提とした代物であったのである。「開いた口が塞がらない」とはまさにこのことである。学校秀才のやることなど所詮はその程度のことと嘲笑したいのであるが、彼らの「頭だけのお遊び」に付き合わされた結果たる今次大戦の惨禍は余りにも甚大過ぎた言わざるを得ない。
まさに、このたびの福島第一原発事故における原子力技術者たる専門家集団の安全対策に酷似している。専門家の権威に弱く、これに盲従・盲信し勝ちな日本人の民族的欠陥を垣間見る思いである。
もとより科学には限界があり専門家も万能ではない、とりわけ、地震や津波、気候変動、地球環境問題、人の心や人の絡む問題などは科学にとって不得手な分野である。この側面を無視して専門家集団に安全対策を委ねることは極めて危険である。まさに今回の福島第一原発事故はそのことを雄弁に物語っている。
言い換えれば、とりわけ科学が不得意とする分野における安全対策においては、専門家の言を盲信しないリーダーたるの健全な「懐疑的精神」が必須なのである。つまりは、「そうなる前に、そうならないように手を打つ」というリーダーたるの根本的な見識が不可欠なのである。孫子の曰う『善後策』<第二篇 作戦>とはまさにその意なのである。
(2)原子力発電に係わるリーダーのリスク回避の見識は小学生にも劣るのか
いみじくも、今回の福島第一原発事故を暗示する実話がある。頃は十年ほど前、東京電力運営の「電力館」におけるワンシーンである。小学生が十人ほど見学に来ていた。ガイド役の女性の「質問ありますか」の声に、その中の一人が元気良く手を挙げ、災害時における原発の多重の安全対策について質問した。
小学生:「これが壊れたら?」
ガイド役の女性:「その場合はこれが働くので大丈夫です!」
小学生:「じゃあ、もしそれも壊れたらどうするんですか?」
ガイド役の女性:「その場合にはこちらが働くので大丈夫です!」
小学生:「もしそれも壊れたら?」
ガイド役の女性:「そんな事は絶対ありません!」
説明に窮したガイド役の女性はとうとう怒り出してしまったという。
確かに、「なぜ」ばかりを連発する小学生を相手にしていると話が進まないことは事実である。しかし、こと原発の安全対策に関するものである以上、この小学生の「なぜ」の連発は極めて正当な観点を示唆するものである。
つまり、こと原発の安全対策という意味においては、いわゆる分析科学的な手法が通用する側面と、必ずしもそれが通用しない側面の二つがあること示しているからである。この両面をキチンと弁えることにより、なぜ今回の人災が起きたのかを明瞭に理解することができるからである。
そのことはまた、例えば、原子力安全委員長たる斑目(まだらめ)春樹氏の『非常用ディーゼル2個の破断も考えましょう、こうも考えましょう、ああも考えましょうと言っていると設計ができなくなっちゃうんです。要は「割り切り」です』との説明がいかに傲慢不遜であり、かつ無責任なものであるかが理解される。
まさに福島第一原発の記録映画が「この地は数百年にわたり、地震や津波で大きな被害を受けていません」などと能天気に胸を張っているのも宜(むべ)なるかな、である。
が、現実は、斑目(まだらめ)春樹氏の「割り切り」という思惑に反し、非常用電源の全てが長期に亘って失われたのである。その想定外のトラブルがさらに想定外のトラブルを生んで国民の平穏な社会生活を脅かす甚大な被害をタレ流し続けているのである。
今日、近代科学が成功してきたのは、いわゆる分析科学的手法(研究対象を個々の要素に分解してそれぞれ詳しく調べて全体を把握する方法)が力を発揮したためである。他方、自然界には構成要素が複雑すぎてその手法が通用しにくい分野もある。例えば、地震や津波の予知、気候変動、地球環境問題、人の心や人の絡む問題などである。
要するに、人間がいくら科学的な知識や技能をもっても、自然界には常に「分かっていること」と「分かっていないこと」が存在するということである。それらをキチンと弁(わきま)えて、「分からないこと」を傲慢不遜に「割り切る」のではなく、謙虚にそれを認め、(そうなる前にそうならないように)万全の策を講ずるのがリーダーたる者の責務なのである。
どこかで「割り切って」考えなければ原発は設計できない、と嘯(うそぶ)いた原子力安全委員長の斑目(まだらめ)春樹氏は、後に、その前言を翻(ひるがえ)し、「割り切り方が正しくなかった」などと弁解しているが、まさに国民を愚弄する所業と言わざるを得ない。早くから福島第一原発の安全対策は危惧されていたのであるから、まさに「そうなる前に、そうならないように手を打つ」ことはできたはずである。
もし彼が孫子を読み、『善後策』<第二篇 作戦>の何たるかを骨の髄から理解していれば、福島第一原発事故という無益な人災は防げた可能性が大である。その意味で彼は、(軍事の専門家を自任していたが、実は、戦争を知らなかったかつての旧軍部のごとく)原子力発電のリーダーを自任しているが、実は、原子力発電に関する根本的なところは全く理解していなかった、と言わざるを得ないのである。
孔子の言に「之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れを知るなり」がある。自分の知っていることは知っているとし、知らないことはまだ知らないと心にハッキリとさせる。これが本当に「知る」ということだ、の意である。政官財を問わず、日本のエリートたる似非(えせ)リーダーが拳々服膺すべき言である。
なぜならば、彼ら優等生たる学校秀才は、得てして、このような高次元かつ高邁な思想を突き詰めて考えることを苦手とする者達だからである。気の毒ながら、仮に理解しても、(単に頭でっかちなだけで、事に臨んでの勇気や信念、責任感、胆力や決断力などが欠落しているため)実践することができないからである。
かつて日本には、真のリーダー教育システムとして世界に冠たる武士道教育が燦然と輝いていた。が、惜しいかな、この貴重な日本民族の精神的遺産は、四民平等社会の到来とともに(封建時代の遺物として)弊履のごとく放棄され見捨てられたのである。
しかし、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と短慮して付和雷同するのは日本人の悪い癖である。大勢追随の感情に走るのではなく、冷静に「何が正しく、何が間違っているのか」の観点に立てば、自ずから「助長補短」の深謀遠慮をもって新編成し、国家百年の大計として日本の礎(いしずえ)とすべきであったのである。
今日、益々、混迷を深める感の否めない日本の現状は、まさに「真のリーダーとは何か」の本質を日本人全体が見間違えたことに起因すると言わざるを得ない。
ともあれ、孫子の曰う『善後策』<第二篇 作戦>とは、「そうなる前に、そうならないように手を打つ」ことを論ずるものであり、一般に、謂われているところの「善後策」、即ち「事が起きてから、さてどうするか」とはまさに似て非なるものである。吾人が孫子を学ぶ所以(ゆえん)である。
※【孫子正解】シリーズ第1回出版のご案内
このたび弊塾では、アマゾン書店より「孫子兵法独習用テキスト」として下記のタイトルで電子書籍を出版いたしました。
興味と関心のある方はお立ち寄りください。
※お知らせ
孫子塾では、孫子に興味と関心があり、孫子を体系的・本格的に、かつ気軽に学べる場を求めておられる方々のために、次の講座を用意しております。
※併設 拓心観道場「古伝空手・琉球古武術」のご案内
孫子を学ぶのになぜ古伝空手・琉球古武術なのか、と不思議に思われるかも知れません。だが、実は、極めて密接な関係にあります。例えば、彼のクラウゼヴィッツは、「マクロの現象たる戦争を、言わば個人の決闘的なミクロの戦いへ置き換えることのできる大局的観察能力・簡潔な思考方法こそが、用兵の核心をなすものである」と論じています。則ち、いわゆる剣術の大なるものが戦争であり、勝つための言わば道具たる剣術・戦争を用いる方法が兵法であるということです。
とりわけ、スポーツの場合は、まずルールがあり、それをジャッジする審判がいます。つまり、スポーツの本質は、娯楽・見世物(ショー)ですから、おのずから力比べのための条件を同じくし、その上で勝負を争うという形になります。つまりは力比べが主であり、詭道はあくまでも従となります。そうしなければ娯楽・見世物にならず興行が成り立たないからです。
これに対して、武術の場合は、ルールもなければ審判もいない、しかも二つとない自己の命を懸けての真剣勝負であり、ルールなき騙し合いというのがその本質であります。つまるところ、手段は選ばない、どんな手を使ってでも「勝つ」ことが第一義となります。おのずから相手と正面切っての力比べは禁じ手となり、必ず、まず詭道、則ち武略・計略・調略をもってすることが常道となります(まさにそのゆえに孫子が強調するがごとく情報収集が必須の課題となるのです)。
つまり孫子を学ぶには武術を学ぶに如(し)くはなしであり、かつ古伝空手・琉球古武術は、そもそも孫子兵法に由来する中国武術を源流とするものゆえに、孫子や脳力開発をリアルかつコンパクトに学ぶには最適の方法なのです。
古伝空手・琉球古武術は、日本で一般的な、いわゆる力比べ的なスポーツ空手とは似て非なる琉球古伝の真正の「武術」ゆえに誰でも年齢の如何(いかん)を問わず始めることができ、しかも生涯追及できる真なる優れものであります。興味のある方は下記の弊サイトをご覧ください。
- 2017年01月21日
- 28:日本人のルーツ『倭人はどこから来たのか』の出版のお知らせ
- 2016年01月02日
- 27:【孫子 一問一答】シリーズ 第六回の「立ち読み」のご案内
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- 26:孫子の曰う『拙速』と、いわゆる「拙速」の典型例たる「戦争法案」との関係
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- 24:【孫子 一問一答】シリーズ 第五回の「立ち読み」のご案内
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- ※「孫子に学ぶ脳力開発と情勢判断の方法」通学ゼミ講座 受講生募集
- 2015年01月07日
- 22:【孫子 一問一答】シリーズ 第四回の「立ち読み」のご案内
- 2014年09月29日
- 21:【孫子 一問一答】シリーズ 第三回の「立ち読み」のご案内
- 2014年07月23日
- ※著者からの「読者サービス」のお知らせ
- 2014年06月16日
- 19:電子書籍【孫子 一問一答】シリーズ第二回出版のお知らせ
- 2014年04月10日
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- 2014年03月14日
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- 15、〈第三篇 謀攻〉に曰う「兵力比互角の戦法」について
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- 14、 孫子の曰う『善後策』と『拙速』の真意について
- 2013年10月30日
- 13、孫子の巻頭言と「五事」「七計」について
- 2013年08月06日
- 12、孫子の理論体系(全体構造)と体系図について
- 2013年04月18日
- 11、電子書籍【孫子正解】シリーズ第一回 出版のお知らせ
- 2012年12月27日
- 10、なぜ孫子兵法を学校で教えないのでしょうか
- 2012年05月05日
- 9、現代日本人はなぜ兵法的思考(戦略思考)が不得手なのか
- 2011年10月20日
- 8、老子と孫子の共通性について
- 2011年05月30日
- 7、孫子兵法と易経・老子・毛沢東・脳力開発との関係について
- 2011年05月24日
- 6、『敵を殺す者は怒りなり』の通説的解釈を斬る
- 2011年04月07日
- 5、 孫子の曰う『善後策』と、一般に謂う「善後策」とは似て非なるものである
- 2010年12月01日
- 4、危うきかな日本 ~尖閣ビデオ流出行為は非国民かヒーローか~
- 2010年08月26日
- 3、孫子の曰う『拙速』と、巷間いわれる「拙速」の根本的な違いについて
- 2010年05月22日
- 2、「孫子はなぜ活用できないのか」のご質問に答えて
- 2008年11月20日
- 1、孫子をなぜ学ぶ必要があるのか