3、孫子の曰う『拙速』と、巷間いわれる「拙速」の根本的な違いについて
彼の武田信玄が常に陣頭に押し立てた、いわゆる孫子の旗「風林火山」を見るまでもなく、世に孫子の言とされている格言は意外と多い。孫子が戦いの普遍的な理論を体系的に論ずるものゆえに、古来、人生を生き抜くためのバイブル・智慧袋として時を超えて世の人々に重宝されてきた証左である。
が、しかし、それらの中には思わず「?」、と絶句するような意味合いに誤用されているものが少なからずある。例えば『拙速』<第二篇 作戦>などはその代表例である。巷間、「兵は拙速を尊ぶ、いまだ巧みの遅きを聞かざるなり」、「巧遅は拙速に如かず」などと実(まこと)しやかに言われいるのはまさにそれである。
つまり、巷間いわれている「拙速」とは、「手段は拙劣なれどもスピードを以てすれば勝つ」の意と解され、「作戦を練るのに時間をかけるよりも、少々まずい作戦でもすばやく行動して勝利を得ることが大切である」とか、「仕事の出来が良くて遅いよりも、出来は悪くとも速くできるほうが良い」などと解説されている。
かてて加えて、この意を裏返せば「速ければ良いというものではない」、あるいは「急(せ)いてはことを仕損ずる」「急がば回れ」の意味合いとなるので、とりわけマスコミ報道などにおいては、「それは拙速に過ぎる」とか、「拙速を避ける」などの表現が慣用句として頻繁に用いられいる。
もとより言葉は世に連れ、世は言葉に連れて変化するものであるから、それはそれで間違いとは言えない。が、こと孫子の論ずる『拙速』<第二篇 作戦>という観点から言えば、まさにそれは似て非なるものと言わざるを得ない。もしそれを孫子の言と盲信して重大な局面でそのまま行動してしまえばやがては後悔の臍(ほぞ)を噛む恐れ無し、とはしないのである。人世で実(げ)に恐ろしきは、得てしてこのような知ったかぶりと無知な思い込み、盲信なのである。
このような曲解や誤用のどこが可笑(おか)しいのか、なぜ道理に合わないのか、なぜ論理的に矛盾するのかについては既に下記の記事で論評しているので、興味と関心のある方は参照して頂きたい。
そのゆえに、ここでは、なぜそのような現象が生ずるのか、その原因はどこにあるのか、はたまた我々はいかに対処すべきかなどについて論じて見たい。
(一)人はなぜ『拙速』<第二篇 作戦>の言に関心を示すのか
先の記事は『役に立つ兵法の明言名句』・第九回「兵は拙速を貴ぶ…続日本紀」と題して、今から丁度10年前、平成12年8月にアップしたものである。実は、この記事は弊サイトではかなりの興味と関心を引くものらしく、毎日ダントツでクリック数の多い人気ページである。
孫子の論ずる『拙速』<第二篇 作戦>の真意が理解されていれば、巷間いわれている「拙速」の解釈、則ち「仕事の出来は悪くとも速くできるほうが良い」、「それは拙速に過ぎる・拙速を避ける」などは、言わば流行(はや)り言葉のようなものだから、実に取るに足らないものであり、「あっ、そう」で終わりである。
が、しかし、上記のごとく異常にこだわる人が多いということは、やはりその根底には、日々の戦いのバイブル・智慧袋とすべき孫子の言ゆえに、(自分の)その解釈に誤りがあって欲しくない、とする情理が無意識的に作用しているものと解される。
つまり、その解釈に自信が無いゆえにその真偽を確認したいのであり、それにより納得し安心を得たいのである。逆に言えば、孫子は他の古典のごとく断章取義的に理解するものではなく、キチンと体系的に学ぶべきものであると認識している人が極めて少ないと言うことである。
老婆心ながら、孫子の曰う『拙速』<第二篇 作戦>の真意を敢て解説する所以(ゆえん)である。
(二)何ごとであれ論理的かつ客観的に考えることが重要である
日本で「兵は拙速を貴ぶ」の言が見られるのは、789年、奥羽における蝦夷征討の遅滞を譴責(けんせき)された桓武天皇の詔においてである。そこには、「夫兵貴拙速、未聞巧遅(それ兵は拙速を貴ぶ、いまだ巧みの遅きを聞かざるなり)」(続日本紀)とある。因みに、孫子の言は『兵聞拙速、未睹巧久也(兵は拙速を聞くも、未だ巧の久しきを睹ざるなり)』である。
表面的に見れば、前者の「兵貴拙速、未聞巧遅」も、後者の『兵聞拙速、未睹巧久也』も同じことを言っているように見える。が、しかし、全体的・本質的に検討すると次の如く両者の意味合いは全く違うものであることが分かる。
Ⅰ、前者はいわゆる征服戦争であるが、後者は群雄割拠・弱肉強食の戦国時代における自国保全のためのいわゆる防衛戦争というシチュエーションである。
Ⅱ、前者は未だ勝利を得ていないというシチュエーション。後者は(群雄割拠・弱肉強食の時代において)開戦している一方面の敵に対しては既に一定の勝利を収めてはいるものの、未だその敵を屈服させているわけでないというシチュエーションである。
前者は、歴史的事実たる「蝦夷征討」の意味、及びその作戦の遅滞を譴責している状況から見れば自ずからそう言える。
後者は、『其の戦いを用なうや、勝つも久しければ、則ち兵を鈍らし鋭を挫き、城を攻むれば、則ち力屈き、久しく師を暴せば、則ち国用足らず。~ 諸侯、其の弊に乗じて起こり、智者有りと雖も、其の後を善くする能わず。』<第二篇 作戦>、あるいは『夫れ、戦いて勝ち攻めて得るも、其の功を修めざる者は凶なり。』<第十二篇 火攻>から見ればこれまたそう言える。
言い換えれば、前者は作戦が多少遅滞しようとも、大和朝廷という国家の支配体制が覆(くつがえ)るわけではないが、後者は、継戦か否かの判断を誤ればその結果は即、国民の死生、国家の存亡という重大局面に直結するのである。
ゆえに前者は単純に「何をもたもたしてるの、ぐずぐずしないで速くやっつけてよ」ということになる。が、しかし、後者は、一定の勝利を収めた後に(これが拙の意)、さらに戦争を継続し新たな戦果(言わば追加的利益)を得るべきか否かという二者択一の局面に際しては、目先の利益や感情に振り回されての軽挙妄動は厳に慎み、究極の目的はあくまでも自国保全にあると弁(わきま)えて、不十分な勝利ではあるが鉾を収め、(戦争を手段とする)政治目的を速やかに達成すべし(これが速の意)、ということになる。
その根底には「戦争というものは、あたかも燎原の火の如き性質を持つものゆえに勝利に酔い痴れて調子に乗り欲望の赴くままに振る舞っていると最後はみずからをも焼き尽くしてしまうものである。そのゆえに、ぐっと堪えて踏み止まり、適当なところで鉾を収めることが最も肝要である」の思想があることは言うまでも無い。
因みに、彼の日露戦争における対露和平交渉のタイミングはまさにその典型例と言える。既に国力も戦力も尽き果てていた日本が、賠償金・領土問題などで大いに不満ではあるが、適当なところで妥協しなければ、(ロシアは単に極東の地で敗北したに過ぎないから)日本が亡国的な状況に陥ることは明白である。ゆえに、ここは我が欲望を制して速やかに戦争を終結に導くのが妥当である、のごとしである。
これを戦術的側面から曰うものが、『餌兵には食らうこと勿かれ』、『佯(いつわ)り北(に)ぐるには従うこと勿かれ』<第七篇 軍争>であり、一定の勝利を収めたからといって奢り高ぶり勢いと欲望に任せての深追いは敗北の因と曰うのである。日露戦争と逆の場合が、かつての軍部による日中戦争の泥沼化であり、その言わば思考停止の延長線上に米英との開戦があり、やがて未曽有の敗戦に至ったことを我々は忘れてはならない。これこそまさに孫子の警句を無視した典型例と言わざるを得ない。
つまり、前者の拙速は「とにかく速くやっつけちゃえよ、古人も兵は拙速を貴ぶと言っているではないか」の意に、後者の『拙速』は、『(群雄割拠・弱肉強食の時代ゆえに)一つの敵に対して一定の勝利を収めたら(徹底的な勝利を追求することよりも)ぐっと堪えて戦争の終結を作為し、本来の政治目的を速やかに達成して国力の保全と増強を図り、周辺に割拠する多敵の侵略に備えた方が賢明である』の意となる。
つまり、孫子の曰う『拙速』とは、老子の曰う「足るを知る」、あるいは「止(とど)まるを知れば殆うからず」と同意と解される。まさに老子の思想を軍事に応用し、言い換えたものが『拙速』ということになる。彼の武田信玄は『合戦における勝負は、十のものならば六分か七分に止めて退くこと、それで十分な勝利である。勝ち過ぎぬように』と戒めている。八分の勝利はすでに危険、九分、十分の勝利は味方が大敗を喫する下地となる、と曰うのである。孫子の曰う『拙速』の何たるかを見事に論じている。
追加的利益の是非という観点からすれば、『拙速』とは、格言に曰う「二兎を追う者は一兎も得ず」であり、あるいは「蛇足」であり、はたまた寓話に言う「兎と亀の競争」とも言える。それらに共通する理論は、素直に目的を収めれば良いものを、いたずらに更なる欲をかいたばかりに、結局は、元も子も無くしてしまった、ということである。
古人の叡智たるそのような警句をまるで他人事のように考えて「実に馬鹿げた話だ、有りえねー」などと嘲笑する人は、決まって傲慢不遜にして能天気な人と言わざるを得ない。そもそも欲望の塊りたる人間は性(さが)弱きものであり、思わず知らず欲に目が眩み、欲に溺れて判断を誤らぬ保証など何処にも無いからである。
卑近な例で言えば、「株が値上がりした」「馬券が当たった」「パチンコで大当たりした」ような時に、速やかにそこで止めてその時点での利益を享受するか、はたまた一攫千金を夢見てさらなる資金投入を図るか、という判断の問題なのである。
そのような場合の賭け事はまさに戦争と同じく、その魔性には抗し難いものがある。すっかり魅入られて熱くなり、ふと我に返った時にはスッテンテンになっていたなどの例は枚挙に暇が無い。もとより賭け事には命は懸かっていない。が、孫子の論ずる『拙速』は、まさに『(国民の)死生の地、(国家の)存亡の道』<第一篇 計>であるがゆえに、とりわけ遠謀深慮の決断が要求されるのである。孫子の曰う『拙速』と、巷間いわれている意の「拙速」とは、似て非なるものと断ずる所以(ゆえん)である。
(三)過ちを改めむるに吝(やぶさ)かならず、善に従うこと流るるがごとし
普通の人が、普通の頭で、『拙速』<第二篇 作戦>に関わる前後の文脈を通観し、孫子十三篇の趣旨を理解するならば、巷間いわれている「拙速」は、孫子のそれとは似て非なるものであることが分かる。例えば、こんな意見も寄せられた。
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「拙速」について孫子の本を読んだり、辞書で調べたりすると、たいてい「上手でも遅いよりは、下手でも速いほうがよい」「できはまずいが、できあがりの速いこと」などとあります。しかも「その原理は孫子の時代から変わっていない」というような解説がされていました。
もっともらしいその説明に、てっきり私は「さすが孫子はすごい。やっぱりスピードが重要なんだな」と、率直に受け取ってしまったのです。
が、その後、貴サイトの「兵は拙速を貴ぶ…続日本紀」の記事を読み、自分なりに考えたところ、なるほど確かにその通りだ、と納得いたしました。巷間いわれている「拙速」の言葉がそもそも間違っており、孫子が言いたいポイントもそこではないことが良く分りました。日本では攻撃的な意味で「スピードは何にも勝る」的な捉え方がされていますが、孫子が曰っているのは、欲望の塊りたる人間が、戦争においてともすれば陥り易い陥穽を自覚し自戒すべし、それは一歩間違えれば命取りになる性質のものだからである、という文脈で使われているんですね。
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とは言え、このような頭脳明晰の方ばかりでないのが世の習いである。徒然(つれづれ)なるままに、ネットサーフィンをしていると、相変わらず通俗的な「拙速」の解釈に固執し、これこそが孫子の曰う「拙速」であると、頑迷固陋に珍説を開陳している能天気な方がおられた。しかも、人気ページたる弊サイトの記事を無断で引用しての意味不明な言説とあっては一言申し上げて然(しか)るべきであると思い、敢てその内容を下記に紹介する。
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<質問>:
拙速は、「兵は拙速を貴ぶ」を除き、基本的には「拙速を避ける」、「それは拙速に過ぎる」「拙速な改正」など否定的な意味に使われているようですが。
<回答>:
拙速の出典は『孫子』ですが、拙速を巧遅より貴ぶのは、「兵には」という前置きがありました。戦争の最中に丁寧に事を運んで、負けてしまっては何にもなりませんね。定石や先例に反していても、結果として戦争に勝つことのほうが優先されます。「拙速は良くない」というのは常識ですが、私(孫子)は戦争ではその常識は通用しないと言いたい、ということです。あえて常識に反することを言っているのです。
※ここで彼は、以下のごとく弊サイトの記事を引用している。
>戦争によって達成し得た勝利がたとえ不十分であったとしても、本来の政治目的が達成できるに足るものであれば(これが拙の意)、それ以上の欲をかかず、速やかに戦争を終結させて政治目的たる果実を収穫すること(これが速の意)が賢明である。
※その上で彼は、次のごとく論じている。が、いかにも意味不明の感は否めない。
こじつけ解釈でしょう。「戦争によって達成し得た勝利がたとえ不十分あったとしても」(これが拙の意)~「速やかに戦争を終結させ」る(これが速の意)…。無理です。ここでの「速」は、不十分な成果「拙」を得るまでの時間が短いという意味です。「拙」を得てから後にどうするとかいうことではありません。
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上記の説明は、始めからボタンを掛け違えているとどこまで行っても支離滅裂な論理にならざるを得ない、という典型例である。既に見てきたように、孫子の論ずる『拙速』には、その前提として、(我が)既に一定の勝利を収めていることが想定されている。その上で、さらなる追加的利益の獲得を目指して戦線を拡大するか、不十分ではあるがその戦果が政治目的を達成するのに十分なものであればそこで鉾を収めるか、という問題なのである。
「二兎を追う者は一兎も得ず」の例で言えば、男は既に一兎を獲られる状況なのであり、「蛇足」の例で言えば、男は既に蛇の絵を描き終えている状況なのである。その後をどうするか、まさにその判断が問題なのである。
群雄割拠・弱肉強食の戦国時代においては、その判断のいかんは結果的に極めて重大な問題を招来する、というのがその趣旨である。
ことの事情は、例えば彼の「大坂冬の陣」においても同様である。徳川家康は天下統一のため大阪城を攻めたが城堅くして容易に落ちる情勢ではない。そこで我に有利な和議条約(とりわけ城の外濠を埋めることなど)を結んで和睦し鉾を収めた。然る後に、かねての計略をもってその内濠をも埋めて裸城同然と成さしめ、次の「大坂夏の陣」をもってその政治目的を達成したのである。まさに孫子の曰う『拙速』の応用である。因みに、彼の武田信玄を軍(いくさ)の師と仰ぐ家康もまた、孫子に深く傾倒していたことは夙(つと)に知られている。
そもそも、巷間いわれている「それ兵は拙速を貴ぶ、いまだ巧みの遅きを聞かざるなり」は孫子の言ではない。むしろそれは、魏の曹操や梁の孟氏(彼の儒家の孟子ではない)の曰う「拙といえども、速を以てする有らば勝つ」の意に相当するものと言わざるを得ない。
そこで、孫子の曰う『拙速』<第二篇 作戦>と、巷間いわれる意の拙速、即ち「手段は拙劣なれどもスピードを以てすれば勝つ」の根本的・本質的な違いはどこにあるのかを角度を変えて検討してみたい。
(四)孫子の曰う『拙速』は普遍的であり、巷間いわれる「拙速」は相対的である
Ⅰ、真理とは普遍性があるゆえに真理なのである。
例えば、釈迦の曰う「無常」とは、万物は流転するの意であり、この世に変化しないものは一つも無い、あるとすれば「変化しないものはない」という自然法則だけである。あるいはまた、例えば「生・老・病・死」も同じく真理である。この世に老いない人間、死なない人間など存在しない、例外はないのである。通常の頭で普通に考えれば誰でも分かる論理である。
孫子の曰う『拙速』<第二篇 作戦>は、まさにそのような普遍的な真理をその根本に置くものである。即ち『戦争というものは、あたかも燎原の火の如き性質を持つものゆえに勝利に酔い痴れて調子に乗り欲望の赴くままに振る舞っていると最後はみずからをも焼き尽くしてしまうものである。そのゆえに、ぐっと堪えて踏み止まり、適当なところで鉾を収めることが最も肝要である」の思想である。先の太平洋戦争における大日本帝国の悲惨な末路を想起するまでもなくこの事は自ずから明らかである。
古来、(戦争であれ事業であれ、はたまた個人の生き様であれ)この真理を頭では分かっているものの肝心な局面においては、その判断を誤り致命的な失敗を犯した人間の例、逆に、その失敗を幾度も体験してついにはその弱点を克服し、その身を全うした人間の例は枚挙に暇(いとま)が無い。
そのゆえにこそ、古来、洋の東西を問わず、そのことを戒める箴言・格言・寓話の類が数多(あまた)存在するのである。例えば「足るを知る」「止まるを知れば殆うからず」、はたまた「二兎を追う者は一兎も得ず」「蛇足」「兎と亀の競争」などはまさにそれである。人類の普遍的現象たる戦争(戦い)という側面からそのことを論ずるものが孫子の『拙速』<第二篇 作戦>であることは明白である。つまり、二者択一の戦略レベルを論ずるものなのである。
Ⅱ、「手段は拙劣なれどもスピードを以てすれば勝つ」は相対的な問題である
そもそも上記の意味は、『拙速』<第二篇 作戦>ではなく、『兵の情は速やかなるを主とし』<第十一篇 九地>に該当する。つまり「戦場の駆け引きは迅速をもって第一とする」の意である。即ち巷間いわれている「拙速」の意はまさにこれである。
ではただ速ければ良いのかと言えば然(さ)に非ず、孫子の言は『人の及ばざるに乗じ、虞(はか)らざるの道に由り、その戒めざる所を攻むるなり。』と続くのである。つまり、敵の態勢が整わない時機に乗じ、予想外の方法で、警戒していないところを攻めてこそ(迅速さの)意義があるのである。
当然のことながら、その逆の場合、即ち「敵の態勢が整い、敵の予測通りの方法で、しかも敵の警戒している真最中に」という状況においては、いくら迅速に行動しても「飛んで火に入る夏の虫」状態に陥ることは明白である。因みに、孫子はそのような状況を評して『北(敗北)』<第十篇 地形>と曰う。
つまり、迅速とは必ずしも遅い・速いに拘泥するものではない。状況によっては(文字通りの意で)速い場合もあれば、状況によっては(急がば回れ・急いてはことを仕損ずるの意で)遅い場合もあるということである。
武田信玄の孫子の旗「風林火山」はまさにその意を象徴するものである。臨機応変・状況即応こそが戦術的側面、つまり、戦場という言わば現場指揮における兵法の本質と曰うのである。
言い換えれば、論理的に「兵は拙速を貴ぶ」場合もあれば、逆に「拙速を避ける」場合もあるのである。まさにこの両面があっての「速」なのである。上記(三)の<質問>対する<回答>がいかに的外れのものか、この一事を以てしても明白である。
蛇足ながら、そのための準備が万端であることは論を俟たない。救急医療であれ、消防の人命救助であれ、はたまた山岳や海難救助であれ平素の訓練と万端の準備があってこそ、いざというときに最大の効果が発揮されるのである。孫子は『勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め』<第四篇 形>と論じている。
準備も何も整えずに「ただ速ければ良い」などと盲信するのは無知そのものであり、言わば思考停止状態の極みである。先の太平洋戦争における兵站の軽視などはまさにその典型例と言わざるを得ない。つくづく日本人は懲(こ)りない民族である。
ともあれ、孫子の曰う『拙速』<第二篇 作戦>は、(戦場という言わば小局的な現場指揮のレベルではなく)一国の存亡を左右する大局的かつ総合的な国家の政・戦略的なレベル、即ち根本方向としての二者択一の問題を論ずるものなのである。
そのゆえに、孫子の曰う『拙速』は、「拙速の判断を誤って元も子も無くした」、あるいは「拙速の判断を誤らなかったゆえにその身を全うした」という用法が適当となり、巷間いわれる「拙速」は、現場の指揮を論ずるものであり『状況によっては「兵は拙速を貴ぶ」であるが、状況によっては「拙速を避ける」ことになる』という用法が適当となる。両者が本質的に異なる所以(ゆえん)である。
因みに、孫子の曰う『拙速』<第二篇 作戦>的な視点を日常問題に応用して論じたものが弊サイトの下記の記事である。参考までに紹介する。
ともあれ、兵書孫子に関わる言は意外に曲解され、誤用・盲信されている場合が多い。ここで論じた「拙速」はまさにその一例である。流行(はやり)の言葉として承知して用いるのならば可であるが、孫子の言として盲信するのはいかにも危うい。混乱を極める時代ゆえに、戦いのバイブルたる孫子は体系的に学ぶことが肝要である。
※【孫子正解】シリーズ第1回出版のご案内
このたび弊塾では、アマゾン書店より「孫子兵法独習用テキスト」として下記のタイトルで電子書籍を出版いたしました。
興味と関心のある方はお立ち寄りください。
※お知らせ
孫子塾では、孫子に興味と関心があり、孫子を体系的・本格的に、かつ気軽に学べる場を求めておられる方々のために、次の講座を用意しております。
※併設 拓心観道場「古伝空手・琉球古武術」のご案内
孫子を学ぶのになぜ古伝空手・琉球古武術なのか、と不思議に思われるかも知れません。だが、実は、極めて密接な関係にあります。例えば、彼のクラウゼヴィッツは、「マクロの現象たる戦争を、言わば個人の決闘的なミクロの戦いへ置き換えることのできる大局的観察能力・簡潔な思考方法こそが、用兵の核心をなすものである」と論じています。則ち、いわゆる剣術の大なるものが戦争であり、勝つための言わば道具たる剣術・戦争を用いる方法が兵法であるということです。
とりわけ、スポーツの場合は、まずルールがあり、それをジャッジする審判がいます。つまり、スポーツの本質は、娯楽・見世物(ショー)ですから、おのずから力比べのための条件を同じくし、その上で勝負を争うという形になります。つまりは力比べが主であり、詭道はあくまでも従となります。そうしなければ娯楽・見世物にならず興行が成り立たないからです。
これに対して、武術の場合は、ルールもなければ審判もいない、しかも二つとない自己の命を懸けての真剣勝負であり、ルールなき騙し合いというのがその本質であります。つまるところ、手段は選ばない、どんな手を使ってでも「勝つ」ことが第一義となります。おのずから相手と正面切っての力比べは禁じ手となり、必ず、まず詭道、則ち武略・計略・調略をもってすることが常道となります(まさにそのゆえに孫子が強調するがごとく情報収集が必須の課題となるのです)。
つまり孫子を学ぶには武術を学ぶに如(し)くはなしであり、かつ古伝空手・琉球古武術は、そもそも孫子兵法に由来する中国武術を源流とするものゆえに、孫子や脳力開発をリアルかつコンパクトに学ぶには最適の方法なのです。
古伝空手・琉球古武術は、日本で一般的な、いわゆる力比べ的なスポーツ空手とは似て非なる琉球古伝の真正の「武術」ゆえに誰でも年齢の如何(いかん)を問わず始めることができ、しかも生涯追及できる真なる優れものであります。興味のある方は下記の弊サイトをご覧ください。
- 2017年01月21日
- 28:日本人のルーツ『倭人はどこから来たのか』の出版のお知らせ
- 2016年01月02日
- 27:【孫子 一問一答】シリーズ 第六回の「立ち読み」のご案内
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- 26:孫子の曰う『拙速』と、いわゆる「拙速」の典型例たる「戦争法案」との関係
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- 24:【孫子 一問一答】シリーズ 第五回の「立ち読み」のご案内
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- ※「孫子に学ぶ脳力開発と情勢判断の方法」通学ゼミ講座 受講生募集
- 2015年01月07日
- 22:【孫子 一問一答】シリーズ 第四回の「立ち読み」のご案内
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- 19:電子書籍【孫子 一問一答】シリーズ第二回出版のお知らせ
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