17、孫子兵法の大前提となる「兵力比互角」の問題について
そもそも兵法の目的は勝つことにあります。勝つための最も基本的な原理は決戦場における兵数の優越、つまり「大兵」にあります。彼のナポレオンが「勝ちは大兵にあり」と論ずる所以(ゆえん)であります。
孫子の場合で言えば、『衆寡の用を知る者は勝つ。』、あるいは『十なれば、則ち之を囲み、五なれば、則ち之を攻め、倍すれば、則ち之を分かち、敵すれば、則ち能く之と戦い、少なければ、則ち能く之を逃れ、若かざれば、則ち能く之を避く。故に、小敵の堅は大敵の擒(とりこ)なり。』〈第三篇 謀攻〉であります。
言い換えれば、古来、経験則的に知られている「大は小より格段に強い」ことを言うものでありますが、自ずから、何をもって大兵とし、何をもって小兵とするかの根本的な基準、つまり「兵力比互角」とは何かの定義が問題となります。
この根本を踏まえて、初めて「大は小より格段に強い」という論理が展開されるのは蓋(けだ)し当然のことであります。因みに定義とは『概念の内容を限定すること。則ちある概念の内容を構成する本質的属性を明らかにし他の概念から区別すること(広辞苑)』であります。
孫子を論ずる場合、論理必然的に、それでは一体、「大兵、もしくは兵の衆寡」のベースとなる「兵力比互角」とは何のか、そもそもそれは孫子六千余文字のどこの言句で論じられているのか、ということが極めて重要な問題となることは明白であります。仮にその大前提が不明確であれば、自ずから「勝ちは大兵にあり、あるいは衆寡の用を知る者は勝つ」の論もその趣旨が不明確とならざるを得ないからであります。
が、しかし、いわゆる現行孫子のどこを見てもこの「兵力比互角」の定義について明示されておりせん。わずかに〈第三篇 謀攻〉に曰う『十なれば、則ち之を囲み、五なれば、則ち之を攻め、倍すれば、則ち之を分かち、敵すれば、則ち能く之と戦い』における『敵すれば、則ち能く之と戦い』の言があるのみです。
問題は、その内容たる『敵(匹敵)すれば』とはいかなる状態を言い、その場合はいかなる戦い方をするのかということですが、まさに「判じ物」のごとくその答えはありません。
そもそも、その意味を説明するのが「兵力比互角の戦法」を論ずる次ぎの〈第四篇 形〉の役割のはずでありますが、現行孫子に作る『守るは則ち足らざればなり、攻むるは則ち余り有ればなり』の言は、読者に意味不明の困惑を与えこそすれ、肝心の「兵力比互角」とは何なのかを考察するためのヒントすら示すものではありません。
のみならず、その前句たる『勝つ可からざるは己に在り、勝つ可きは敵に在り。故に、善く戦う者は、能く勝つ可からざるを為すも、敵をして必ず勝つ可からしむること能わず』の言は、『守るは則ち足らざればなり、攻むるは則ち余り有ればなり』といかなる関係にあるのかまさに謎であり「判じ物」と言わざるを得ません。
百歩譲って「勝つ可からざるは己にある」ゆえに、「足りないから守っている」と解釈しても、それは相手が五倍、十倍の場合であっても同じように通用する原理なのかということです。誰が考えても答えは「否」です。
例えば、孤立無援の状態で五倍、十倍の敵に包囲されればどうなるかは火を見るよりも明らかなことです。それよりも何よりも、そもそも孫子が〈第三篇 謀攻〉の同じ段で戒めている『小敵の堅は大敵の擒(とりこ)なり。』と甚だしく矛盾するものであることは論を俟ちません。
つまるところ、「現行孫子」に関して言えば、世界に冠たる「兵書」孫子には、戦いに勝つための基本原理たる「兵力比互角」の定義が何も論じられていないと言わざるを得ないのであります。
が、しかし、「竹簡孫子」においては、この箇所を、現行孫子とはまさに正反対である『守るは則ち余り有り。攻むるは則ち足らず』と作っております。これを〈第三篇 謀攻〉の『十なれば、則ち之を囲み、五なれば、則ち之を攻め、倍すれば、則ち之を分かち、 敵すれば、則ち能く之と戦い』と併せて注意深く考察すれば「兵力比互角」の定義が極めて明快になって来るのであります。
この場合のキーワードは、『倍すれば、則ち之を分かち』を孫子兵法の根本思想を踏まえていかに解すべきかということであります。これが解ければ、自ずから兵法の基本的原理たる「兵力比互角」、あるいは「必勝」、はたまた「圧勝」の具体的数値が導かれるのであります。
これまで「現行孫子」に依拠する、もしくは依拠せざるを得なかった様々な解釈がどうしても兵法の核心を外れた「隔靴掻痒」的なものに終始せざるを得なかった最大の理由は、まさにこの『何をもって大兵とし、何をもって小兵とするかの原理的な基準』、則ち「兵力比互角」の定義が不明のまま、ただ不毛の論が展開されてきたということに尽きます。
下記の【孫子正解】第七回〈第五篇 勢〉では、上記の論点を兵力比互角の戦法たる〈第四篇 形〉との絡(から)みで再論するとともに、〈第五篇 勢〉の本論たる『敵すれば、則ち能く之と戦い』〈第三篇 謀攻〉とは具体的にいかなる内容を言うのか、孫子のその真意を詳細に説明しております。
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孫子を学ぶのになぜ古伝空手・琉球古武術なのか、と不思議に思われるかも知れません。だが、実は、極めて密接な関係にあります。例えば、彼のクラウゼヴィッツは、「マクロの現象たる戦争を、言わば個人の決闘的なミクロの戦いへ置き換えることのできる大局的観察能力・簡潔な思考方法こそが、用兵の核心をなすものである」と論じています。則ち、いわゆる剣術の大なるものが戦争であり、勝つための言わば道具たる剣術・戦争を用いる方法が兵法であるということです。
とりわけ、スポーツの場合は、まずルールがあり、それをジャッジする審判がいます。つまり、スポーツの本質は、娯楽・見世物(ショー)ですから、おのずから力比べのための条件を同じくし、その上で勝負を争うという形になります。つまりは力比べが主であり、詭道はあくまでも従となります。そうしなければ娯楽・見世物にならず興行が成り立たないからです。
これに対して、武術の場合は、ルールもなければ審判もいない、しかも二つとない自己の命を懸けての真剣勝負であり、ルールなき騙し合いというのがその本質であります。つまるところ、手段は選ばない、どんな手を使ってでも「勝つ」ことが第一義となります。おのずから相手と正面切っての力比べは禁じ手となり、必ず、まず詭道、則ち武略・計略・調略をもってすることが常道となります(まさにそのゆえに孫子が強調するがごとく情報収集が必須の課題となるのです)。
つまり孫子を学ぶには武術を学ぶに如(し)くはなしであり、かつ古伝空手・琉球古武術は、そもそも孫子兵法に由来する中国武術を源流とするものゆえに、孫子や脳力開発をリアルかつコンパクトに学ぶには最適の方法なのです。
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