13、孫子の巻頭言と「五事」「七計」について
この世からすべての戦争が無くなり、人々が永遠に恙(つつが)無き平和の日々を送ることは古来、人類の永遠の夢であり理想でありました。が、しかし、理想は現実とかけ離れているがゆえの理想なのであり、現実は止むことのない戦乱の記録が人類の歴史であったこともまた否めない事実であります。
客観的に哲学的な立場から見ますと、そもそも「生きている」ということは、トラブル(苦労・心配・面倒・厄介・紛争・騒擾等)を起こすことでありますから、これを敷衍(ふえん)すると、好むと好まざるとに拘わらず、つまるところ、実人生の世界は戦いであり、その最高形態が戦争であると言わざるを得ません。
逆説的に言えば、人間が「戦争より合理的かつ実効的な国際紛争解決の手段」を考案すれば戦争は無くなるということになりますが、「性(さが)、弱き人間」の性質上、ことはそれほど単純ではありません。利害の著しく対立する双方の(平和的紛争解決の手段たる)あらゆる方策が尽きた時、(自ずからそこには)それらの方策では解決できない問題を解決するための最終的手段たる戦争が登場するのが歴史の常であります。
俗に「バカにつける薬はない」と謂われますが、冷厳な現実世界を直視すれば、戦争とはまさに「つける薬のないものにつける薬」であり、言わば必要悪と言わざるを得ません。このような戦争にいかに対処すべき、それを示すものが孫子兵法の「巻頭言」であり、それを承(う)けて「勝ち易きに勝つ」ための方策を論ずるものが「五事・七計」ということになります。
言い換えれば、『兵は国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり。』〈第一篇 計〉とは、まさに次ぎの各項目のごときに集約された言わばタイトルをさらに簡潔に要約して、さらにそれを一言で表現しているものと解せられます。
1、戦争には絶対反対(孫子の思想は不戦・不殺。徹底した反戦・平和主義者)
2、しかし、戦争は(必要悪ゆえに)無くならない
3、ゆえに軍備は無用ではない(反戦・非武装中立の論は成り立たない)
4、そもそも、政治力と軍事力は表裏一体の関係にある
5、祖国の自主独立を誰が守るのか(戦いの主体者は誰か)
6、いかなる場合に戦うのか(戦わずして勝つから、戦いて勝つへ)
7、どのような戦い方をすれぱ民衆は納得するのか
このことはまた、孫子の何気ない一言の背後には、それが極めて高度に抽象化されているものゆえに、常に、深遠にして広大な兵法的思想の体系が存在していることを示唆するものであり、そこに心を傾注することが孫子理解の捷径(しょうけい・早道)と知るべきであります。
ともあれ、「つける薬のないものにつける薬」とまで否定される性格のものである戦争について孫子は、その範疇をこれ以上外しようが無いという意味でのいわゆる「天・地・人」、言い換えれば『五事』という大網を掛けて括り、(戦争に勝つための)平時から厳に実践すべき必須項目を列挙し、最低限クリアーすべき基準たる達成目標を明示したのです。
『凡そ、この五者は、将として聞かざるは莫し、之を知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。』の言は、孫子がいかに『五事』の重要性を強調するものであるかを如実に示しています。
則ち、ここで曰う「知る」とは、単なる知識(言わば三人称の立場からの知識に止まるもの)という意味ではなく、人間の弱さ・盲点を克服して、(まさに一人称の立場たる)自分自身が血と汗を流し骨身を削り平素から不断に実行してきたか否かの結果たる厳しい現実の姿・形を問うものであります。
言葉ではなく事実として「実践したか、しないか」の二つの立場の相違について彼の毛沢東は「梨の味を知るには、梨を変革しなければならない。則ち自分で食べて見なければならない」と譬(たと)えています。
実践には自ずから決断と集中と持続が必要とされ、しかもひたすらその一事を追求するものであり、かつそれが実現するまでたゆまず努力することが要求されます。
言葉では「ヤルヤル」と言いながら、実際には、金魚鉢の金魚のごとく、ただ「口をパクパク」させている状態とは似て非なるものだ、と言うのです。ゆえに毛沢東は「世界中で観念論ほど簡単で楽なやり方はない」と断じています。言い換えれば、実践を大前提とする脳力開発の真逆にあるものが観念論であると言うのです。
さて、人間が行動すれば(微細すぎてその感覚で認識できるか否かはともあれ)必ず事実としてその結果が出ることは自明の理であり、敢えて因果応報の宇宙法則を持ち出すまでもありません。かつその在り様は、(本人の矜持や思い込み、心情や希望的観測はともあれ)まさに十人十色、百人百様であることもまた論を俟ちません。
孫子の曰う『計』(一般的には七計)とは、まさにそのような具体的事実を「私心のない・曇りのない心」を以て計量するという意であります。いわゆる「七計」の結言たる『吾れ、此れを以て勝負を知る』とはまさに彼我の具体的な実践結果を厳に比較考量し、自ずからなる結論を得ることを曰うものです。それを踏まえてさらに吾れの助長補短策を講じ、勝ちをより万全なものにすると曰うのであります。
つまるところ孫子は、「つける薬のないものにつける薬」としての戦争をただ忌避しているだけでは平和は遠のくばかりである。戦争が必要悪として存在する以上、これを有効適切に用いるためには、戦争の何たるかを原理的・本質的に検討し、その対処の方法を深く理解することが肝要である、と曰うのです。まさにその精髄が巻頭言であり「五事」「七計」である、ということになります。
このことはまた、的(まと)を射た考え方、もしくは物事の本質をつか掴む力とは何かを我々に示唆するものであります。言い換えれば、我々の個別特殊的立場と個々の問題において正鵠(せいこく・的の中央の黒星)を射た理念とは何か、それをまず明確にせよと、曰うのです。なぜならばこれが明確にされて初めて、「それに基づく戦略」が生まれるからであります。
とは言え、首尾よくことを成就するためにはもとよりそれだけでは足りず、「その戦略を首尾一貫して最後までやり抜く指導力」が要求されるのであります。
孫子の曰う巻頭言とそれに基づく「五事」、それを客観的に比較考量して我が助長補短策を講ずる意の「七計」はまさに「正鵠を射た理念」「それに基づく戦略」「それを首尾一貫して遂行する指導力」の三要素に合致していることは論を俟ちません。
『之を知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。』〈第一篇 計〉とはまさにそのことを踏まえて曰うものであります。とりわけ重要なことは、何事を為すのであれ、孫子のこの普遍的な理論が時空を超えて適用されるということです。
実は、これらについて詳細かつ明快に論じているものが孫子塾発行の下記の電子書籍(アマゾン書店)であります。ご一読賜れば幸甚です。
※お知らせ
孫子塾では、孫子に興味と関心があり、孫子を体系的・本格的に、かつ気軽に学べる場を求めておられる方々のために、以下の講座を用意しております。
※併設 拓心観道場「古伝空手・琉球古武術」のご案内
孫子を学ぶのになぜ古伝空手・琉球古武術なのか、と不思議に思われるかも知れません。だが、実は、極めて密接な関係にあります。例えば、彼のクラウゼヴィッツは、「マクロの現象たる戦争を、言わば個人の決闘的なミクロの戦いへ置き換えることのできる大局的観察能力・簡潔な思考方法こそが、用兵の核心をなすものである」と論じています。則ち、いわゆる剣術の大なるものが戦争であり、勝つための言わば道具たる剣術・戦争を用いる方法が兵法であるということです。
とりわけ、スポーツの場合は、まずルールがあり、それをジャッジする審判がいます。つまり、スポーツの本質は、娯楽・見世物(ショー)ですから、おのずから力比べのための条件を同じくし、その上で勝負を争うという形になります。つまりは力比べが主であり、詭道はあくまでも従となります。そうしなければ娯楽・見世物にならず興行が成り立たないからです。
これに対して、武術の場合は、ルールもなければ審判もいない、しかも二つとない自己の命を懸けての真剣勝負であり、ルールなき騙し合いというのがその本質であります。つまるところ、手段は選ばない、どんな手を使ってでも「勝つ」ことが第一義となります。おのずから相手と正面切っての力比べは禁じ手となり、必ず、まず詭道、則ち武略・計略・調略をもってすることが常道となります(まさにそのゆえに孫子が強調するがごとく情報収集が必須の課題となるのです)。
つまり孫子を学ぶには武術を学ぶに如(し)くはなしであり、かつ古伝空手・琉球古武術は、そもそも孫子兵法に由来する中国武術を源流とするものゆえに、孫子や脳力開発をリアルかつコンパクトに学ぶには最適の方法なのです。
古伝空手・琉球古武術は、日本で一般的な、いわゆる力比べ的なスポーツ空手とは似て非なる琉球古伝の真正の「武術」ゆえに誰でも年齢の如何(いかん)を問わず始めることができ、しかも生涯追及できる真なる優れものであります。興味のある方は下記の弊サイトをご覧ください。
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