7、孫子兵法と易経・老子・毛沢東・脳力開発との関係について
一、易の根本原理とは
一般に易経は、いわゆる「占い」の原典としてのイメージが強いようですが、易経の本質はそこにあるのではなく、卦(か)に示される吉凶を一つのヒントとして人間自身による能動的な問題の追求、言い換えれば運命開拓の努力を促すものです。
つまり易経は、従うべき法則を示すことによって、自分の頭で問題を考えることを教える書物であり、その過程で重ねられた熟慮が読む人に多くの示唆を与えるのです。
犬や猫と違う人間の特質は、まさにその自覚的能動性にあります。とは言え、有為転変が人の世の常ゆえに、ことはそう簡単ではありません。
言い換えれば、そもそも人間にとって真に主体的な生き方というものは在り得るのか、あるとすればそれはいかにすれば可能なのかという問題であり、もし、万物の生成変化・発展を貫いている不変の原理があるとすれば、それを探究して理論化し、その活用によって逆に有為転変をコントロールするに如(し)くは無し、ということです。
その意味で理論化されたものが、いわゆる陰陽二元論、即ち「すべての変化は、陰陽二元の対立から生まれる。対立のないところに変化はない。陰陽の二元は固定して動かぬものではなく、無限に変化するものである」と説く易経の弁証法的宇宙観であります。
例えば、彼の「人間万事塞翁が馬」の寓話は、福と禍とは無限に転変して行くという易経的思想を表現したもの、ということになります。
また、兵法との関係で言えば、そもそも兵法は、(当然のことながら)事物の変化を重視する弁証法的思考をその根底に置くものゆえに、易経の思想とは密接不可分の関係にあるということになります。
二、易経と老子の関係
千変万化する万物の相を見てその背後に潜む運動法則を探求し、それを理論化するという考え方においてまさに易経と同一の立場にありますが、老子の場合は、それを「道」と名づけております。
「道」とは、「無」であるとともに「有」でもあり、「小」であるとともに「大」でもあり、「始め」であるとともに「終わり」であると説かれております。
とりわけ老子は「無」を重んじましたが、この「無」の真意は、一般に謂われているがごとく、消極的な虚無思想ではなく、『何も無い、だからこそあらゆる変化に応じてすべてが生じる』という能動的な無尽の原動力を論ずるものであります。
あたかもそれは、例えば、「常に死を習え」を根本思想とする武士道精神と相通ずるものがあるということです。
ともあれ、老子の思想は、陰陽二元論、即ち「すべての変化は陰陽の対立から生まれる。対立の無いところに変化は無い」とする易経の弁証法的宇宙観と同根ではありますが、老子の場合は、それをさらに一歩進めて、対立物が相互に転化し矛盾によって発展するという相互転化の法則を論じているところに特色があります。
易経の思想は古来、中国文明の基底にあるものゆえに、老子がその思想の影響を多分に受けたであろうことはもとより言うまでもありません。
例えば、「道」の思想は、易経・繋辞上伝に曰う「形而上なる者、これを道と謂い、形而下なる者、これを器と謂う」を老子的言辞で表現したものとも言えます。
三、老子という書物の性格
一般的に、老子の思想は、道徳的・哲学的・求道的・宗教的な性格を持つものと見なされ勝ちであります。が、しかし、看過されてはならない重要な側面は、この書物に全体として顕著な政治的・軍事的な性格であります。このゆえに、そもそも老子は、古来、兵法家の愛読する書であり、かつ、唐代には兵書の一つとして見なされていたのです。「道徳真経論兵要義述」を著した王真は、「老子の五千言は一章といえど雖も意の兵に属さざるところ無し」と述べているほどであります。
例えば、軍隊の本質をどう見るかについての老子の言に「兵は不祥の器」がありますが、これなどはまさに孫子の巻頭言『兵は国の大事なり。』<第一篇 計>とその意を同じくするものです。
あるいはまた、尽きることのない欲望の充足をどの時点で抑えるのが適当かという、言わば追加的利害関係の判断について、老子は「足るを知れば辱められず、止まるを知れば殆うからず、もって長久なるべし」と論じております。これなどは、まさに孫子の曰う『拙速』<第二篇 作戦>の意そのものとなります。
因みに言えば、孫子の曰う『拙速』とは、巷間、謂われているが如く「やり方・手段が多少拙劣であっても、速戦即決、速勝に出た方が、手段の万全を期してことを長引かせるよりも有利である」の意ではありません。
そのようなことは現場指揮官が臨機応変・状況即応して適宜判断する戦術的レペルの問題であり、敢て兵書に記すようなレベルの内容ではありません。孫子の曰う『拙速』とは、国家の政・戦略レベルにおけるいわゆる追加的利害もしくは得失の判断をいかに考えるか、という問題なのであります。
もとよりこの『拙速』の考え方は、ことを個々人の戦略レベルの意に解すれば、当然のことながら個々人の場合にも適用されます。譬えて言えば、「兎と亀の競争」の寓話における兎の判断の場合、はたまた、いわゆる「蛇足」の寓話における酒を飲み損ねた男の判断の場合などがそれに当たります。
四、孫子と易経、老子との関係
老子の場合と同じく、孫子もまた易経の思想の影響を色濃く受けたことは首肯せざるを得ません。とりわけ、孫子の曰う『奇正』<第五篇 勢>は、易経・繋辞上伝に曰う「形而上なる者、これを道と謂い、形而下なる者、これを器と謂う」の運動法則を孫子的言辞をもって軍事に取り入れたものと解せられます。
老子と孫子とは、ほぼ同時代の人物とは思われますが、両者の伝記は必ずしも明らかでなく、生没年もまた特定できません。ゆえに両者の間に人的交流はあったのか、はたまた老子が孫子にどの程度の影響を与えたのかは定かではありません。
が、しかし、変化を重視する弁証法的思考を始めとし、両者の兵法的思考が著しく似ていることは確かであり、まさに老子の説くところの運動法則をそのまま軍事に転化したのが孫子であるかのごとき印象があります。
角度を変えて見れば、易経・老子・孫子の書物は、(その立場と視点こそ違え)千変万化する万物の相を観てその変化の運動法則を探求し、これを理論化したというところに共通性があります。そのゆえに、三者に共通して言えることは、ある意味で「答えを出さない」というところであり、まさにそこに特質があります。
敢て言えば、従うべき行動指針を示すことによって、自分の頭で問題を考えることを教える書物であり、その過程で重ねられた熟慮が読む人に多くの示唆、あるいは問題解決の方向性を与えるということであります。
孫子の曰う『彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず。』<第三篇 謀攻>とは、まさにそれを得るための資質・資格とは何かを暗示するものとも言えます。言い換えれば、己の無知を知ることを愛し、智恵を知ることを愛する謙虚な姿勢こそが孫子から真に適切な示唆を受ける資格のある人ということであります。
五、毛沢東の矛盾論と易経、孫子の関係
易経は、古来、中国文明の基底であり、就中(なかんずく)、「陰陽の対立なければ運動なし」の思想は、まさに中国的弁証法の原型です。そのゆえに、中国古典の造詣が深く希代の革命家にして唯物弁証法論者を自認する毛沢東の思想が易経と無関係のはずがありません。
言い換えれば、毛沢東の「矛盾論」には易経の陰陽二元論が色濃く影響しているということです。例えば毛沢東は「すべての事物に含まれている矛盾の側面の相互依存と相互闘争とによって、すべての事物の生命が決定され、すべての事物の発展が起る。矛盾を含まぬどんな事物もなく、矛盾がなければ世界はない」と論じております。
また、その「実践論」にいう「実践・認識・再実践・再認識」という循環往復して尽きることのない形にも易の思想たる陰陽の無限の転移の形が色濃く影を落としていると言えます。
孫子との関係においては、『彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず。』<第三篇 謀攻>が「矛盾論」や「持久戦論」などで引用され、とりわけ毛沢東の戦争論とでもいうべき「中国革命戦争の戦略問題」ではわざわざ、「われわれは、この言葉を軽んじてはならない」と付け加えられています。
また、彼の有名な遊撃戦争の四原則、即ち、「敵が攻撃してくれば退却し、敵が駐屯すれば攪乱し、敵が疲れれば攻撃をかけ、敵が退けば追撃する」は、まさに孫子の<第六篇 虚実>もしくは<第七篇 軍争>に由来するものと言えます。
また言えば、毛沢東の愛読書の一つして例えば「水滸伝」がよく知られております。この種の中国書籍が、つまるところ孫子兵法を下地とするものであることはもとより言うまでもありません。つまり、毛沢東は、間接的な意味においても、孫子の強い影響を受けているということであります。
逆に言えば、毛沢東の戦争論には、その現実主義的な戦略戦術、透徹した現状認識など孫子兵法を想起させる個所がいたるところに散見されるということです。
とりわけ、毛沢東の主張した「持久戦論」は『拙速』を説く孫子兵法の裏の奥義とでも言うべきものであり、その意味でも、(軍事指導者としての)毛沢東は、まさに現代における孫子兵法の具現者と評しても過言ではありません。
五、脳力開発と毛沢東思想との関係
脳力開発の創始者、故城野宏先生は、日本の無条件降伏後、中国・山西省を舞台に50万の山西独立軍を擁し、毛沢東率いる中共軍と四年に及ぶ現代版三国志の戦いを演じ、後に敗れて中共軍の捕虜となり15年の監獄生活を送るなど、まさに波乱万丈の数奇な体験をされました。
帰国後、その獄中で思索された「なぜ日本は敗れたのか」「なぜ毛沢東は中国を統一できたのか」などの分析結果と併せて、獄中で学習した毛沢東思想、とりわけ「矛盾論」「実践論」「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」のエッセンスとその実際への適用方法などを日本人向きにアレンジし、加うるに中国における御自身の体験を整理して総合的に纏められたものが脳力開発であります。
言い換えれば、脳力開発は、中国統一の理論的・精神的バックポーンたる毛沢東思想の裏バージョンとで言うべき性格のものであります。
そのゆえに、孫子兵法を、戦いに関する普遍的な「理論・思想の体系」とすれば、脳力開発は、まさに孫子兵法の「実践論的体系」として位置づけられるものであります。弊塾の孫子兵法講座で脳力開発を併習する所以(ゆえん)であります。
因みに、弊塾の孫子兵法講座は、(上記したごとくの)孫子兵法と易経・老子・毛沢東・脳力開発との関係を体系的に纏(まと)めるとともに、曹操註になる現行孫子を遡ること400年前の竹簡孫子を基本テキストとして校勘しています。
その意味では、通常、見ることのできない、言わば月の裏側とでも言うべき角度から孫子兵法を文字通り両面的・全面的に考察し、その全体像や本質を体系的に纏(まと)めたものであります。
※【孫子正解】シリーズ第1回出版のご案内
このたび弊塾では、アマゾン書店より「孫子兵法独習用テキスト」として下記のタイトルで電子書籍を出版いたしました。
興味と関心のある方はお立ち寄りください。
※お知らせ
孫子塾では、孫子に興味と関心があり、孫子を体系的・本格的に、かつ気軽に学べる場を求めておられる方々のために、以下の講座を用意しております。
※併設 拓心観道場「古伝空手・琉球古武術」のご案内
孫子を学ぶのになぜ古伝空手・琉球古武術なのか、と不思議に思われるかも知れません。だが、実は、極めて密接な関係にあります。例えば、彼のクラウゼヴィッツは、「マクロの現象たる戦争を、言わば個人の決闘的なミクロの戦いへ置き換えることのできる大局的観察能力・簡潔な思考方法こそが、用兵の核心をなすものである」と論じています。則ち、いわゆる剣術の大なるものが戦争であり、勝つための言わば道具たる剣術・戦争を用いる方法が兵法であるということです。
とりわけ、スポーツの場合は、まずルールがあり、それをジャッジする審判がいます。つまり、スポーツの本質は、娯楽・見世物(ショー)ですから、おのずから力比べのための条件を同じくし、その上で勝負を争うという形になります。つまりは力比べが主であり、詭道はあくまでも従となります。そうしなければ娯楽・見世物にならず興行が成り立たないからです。
これに対して、武術の場合は、ルールもなければ審判もいない、しかも二つとない自己の命を懸けての真剣勝負であり、ルールなき騙し合いというのがその本質であります。つまるところ、手段は選ばない、どんな手を使ってでも「勝つ」ことが第一義となります。おのずから相手と正面切っての力比べは禁じ手となり、必ず、まず詭道、則ち武略・計略・調略をもってすることが常道となります(まさにそのゆえに孫子が強調するがごとく情報収集が必須の課題となるのです)。
つまり孫子を学ぶには武術を学ぶに如(し)くはなしであり、かつ古伝空手・琉球古武術は、そもそも孫子兵法に由来する中国武術を源流とするものゆえに、孫子や脳力開発をリアルかつコンパクトに学ぶには最適の方法なのです。
古伝空手・琉球古武術は、日本で一般的な、いわゆる力比べ的なスポーツ空手とは似て非なる琉球古伝の真正の「武術」ゆえに誰でも年齢の如何(いかん)を問わず始めることができ、しかも生涯追及できる真なる優れものであります。興味のある方は下記の弊サイトをご覧ください。
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- 28:日本人のルーツ『倭人はどこから来たのか』の出版のお知らせ
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- 27:【孫子 一問一答】シリーズ 第六回の「立ち読み」のご案内
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- ※「孫子に学ぶ脳力開発と情勢判断の方法」通学ゼミ講座 受講生募集
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